青銅社から百合出版、角川から岩波へ、この書は紆余曲折を経ながら読み継がれている。この岩波版の帯は「戦後50年 子供の眼がとらえた昭和の名作」と書かれている。無着成恭が、こどもたちとともに考えた「幸せへの道」はまず貧乏の克服だった。いわゆる当時の物質的な「貧しさ」はすでに克服されそれにかわって「こころ」の問題が起こってきた、とよく言われるが本当だろうか。この本をまた新たに読んでみて感じるのは「もの」でさえ豊かになっていない、という実感である。無着がこども達と徹夜でつくった木の三輪車やスクーターを越えるおもちゃが今あるのだろうか。この本の冒頭の写真(1951年春 山元風景)のこどもたちの顔をじっとみてみれば、何が「幸福」なのかが心の奥から聞こえてくる。この時代の東北は確かに貧しさが哀しかった。けれど、こどもは悲惨ではなかった。この本のなかに無着と遊び笑い転げる子供たちの姿が見える限り我々はこの本に目をつむることはできない。この岩波版へのあとがきで無着は「今日的状況」について1つの発言をしている。戦後は終わったのか、もう一度考えてみたい。