小西政継氏の断片的な噂話のようなものをつなぐと、鋼鉄の意志と身体を持ち、リーダーとして活動した山岳会は、遭難による死者を毎年1人のペースで出し既に30人以上。非情な戦闘集団とまで言われていた。また厳冬期のグランドジョラス北壁で吹雪に遭い、足の指を凍傷ですべて失う。
とまあ、とんでもない神話的な人物になってしまうのだが、この「山は晴天」は43歳の頃直筆で書かれた物で、小西氏の人間的な部分をもう一歩も二歩も踏み込んで知ることができる。
毎朝仕事前に2時間走っていた事や、中卒で働きに出た町の壁屋である氏と、ともすれば反目してしまいそうな大学のエリート山岳会の人間達との暖かくもあり、敬意を持っての交流。
妻であるオクちゃんとの馴れ初め。自身がリーダーを務める山岳会の合宿で、夕食に大量の天ぷらを半日かけて作り続けたり。ヘルニアで半年以上山へ行けなくなり、それまで全く興味の無かった本を読みまくり、給料の大半を本に使ってしまう本狂いへと変貌を遂げることや、又穂高の屏風岩で当時流行の人口登攀に馬鹿らしくなり、1mおきに打ち込んであるハーケンを登るたびに抜きまくり、200〜300のハーケンの山を造ったりと、とても人間味溢れる内容になっています。小西氏著の「グランドジョラス北壁」と合わせて読むと、より深く入り込めるのではないでしょうか。
この厚いハートを持った人物を、山で失ったことは非常に残念でなりません。