いくらかの人は本作を当初そんなには真面目に見ていなかった。登場人物の髪型が尽く異常なもので思わず笑ってしまったり、妙なところで妙な音楽が使われたり、マサオのようなコミカルな登場人物が出てくる事も関係しているだろう。(余談だがしかし私はマサオにすら一定の真面目な哀愁を感じなければ本当ではなく感じる)だが本作は結局のところ2010年末で最もシリアスで、最も深刻で、最も悲惨で、最も悲劇的で、最も現実的(屍が起き上がるにも関わらず!)で、そして完成度の高い秀作だった、と私は思う。圧倒的に展開の先行きに引きつけられていく我々の顔からはだんだんと笑いは失せ、その悲劇性の前に衝撃を受け、ポカンとただその連鎖する悲惨な現実を見つめたり、時には涙したりすらしうるのである。終盤に近づけば近づく程に本作はそのような内容、そのような空気を備えてくる。本作の悲劇性はどこまでも加速していく。「この村は死によって包囲されている」とは本作のキャッチフレーズのようなものだが、その言葉は一貫して最後まで本作を最もよく表現する言葉なのである。本作はどこまでも破滅的だ。それだからこそのある種の美しさすら、そこには感じられる。
本作は「屍が起き上がり人を襲う」という点でゾンビを思わせるが、実際に見てみればゾンビっぽさは皆無に近い。明らかに屍鬼たちは我々が想像する所謂、ゾンビ等とは全く異なり、死んで起き上がり人を襲うという一点を除けば、殆ど似てすらもいないのである。端的に言えば屍鬼は人を襲わずには生きられないという点を除けば限りなく人間に近い。一部の人がゾンビにすら見出しゾンビを躊躇いなく殺すのはどうなのだと批判するような、そのような人間性よりもずっと強い意味での、ずっと本当に人間に近い人間性が屍鬼には備わっているのだ。彼らは普通に話し、普通に生活し、普通に笑い、普通に眠り、普通に将来を思い、普通に怯え、普通に助けを乞い、普通に泣き、普通に友情を感じたり恋をしたり、また自己を犠牲にしたり、美を感じたりするのである。そのような単に人を襲わずには生きられない運命を望まずして背負った「人間」であるところの屍鬼がその運命ゆえに「怪物」として「人間」と殺しあわなければいけない。それが屍鬼という話なのであった。そのような運命を背負った人々の物語は決して生ぬるい展開を見せはしない。