修道院に一ヶ月滞在した著者は、尼僧たちがとても活発に活動しているのに驚いたという(朝日新聞7月29日記事)。その体験をもとに小説化された。日本人女性の「わたし」がドイツの修道院を訪問し、そこにいる個性的な中年の尼僧たちと交流する。彼女たちはとてもリアルでありながら、それぞれにどこかぶっ飛んだところがある。信仰、祈り、礼拝などの比重は小さく、修道院はむしろ世俗の縮図といえる。尼僧たちは中高年でありながら、枯れていない。何か自分が“愛する”対象を持ち、「みんなそれぞれ情愛を冷やさないで生きている」(p143)。そんな雰囲気なので、「わたし」も遠慮なく、折に触れて過剰な性的連想をしたりする。本書で特におかしいのは、「尼僧」に対する俗世間の性的妄想を、尼僧みずからが楽しく笑い飛ばすシーンだ。ある映画のシーンで、“女磨き”に余念のないある中年女性が「あたしたち尼僧(ノンネ)じゃないんだから!」と叫ぶのを見て、尼僧と「わたし」は腹をかかえて笑う。「ハリウッドはこんな台詞を吐きたいというそれだけ理由で<尼僧>という幻想をどうしても必要としている。尼さんではないのだから、性性性。尼僧修道院の屋根の修理費は、映画産業界に出してもらったらいい。<尼僧>という言葉を使う度にいくら払うという契約を結べばいい。」(112) 第二部の、元カレと恋愛して失踪した前尼層院長の物語は、やや異質で、第一部の修道院訪問記とうまく接合しないのが惜しまれる。信仰も実績もない彼女が、いきなり新院長として尼僧院に迎えられる(228f.)のは変ではないか。