香港映画ってどうして丸いの? 台湾映画もそうだけど。ジャッキー・チェンの初期の映画、たとえば「酔拳」とか、どれもほのぼのとしていたなあ。
権力を握った者はひどく横暴になるようだが、庶民はなぜか心優しい。少林寺で拳法を学んだ人たちは一般社会ではたいがいは落ちこぼれなのは、それだけ少林寺が俗世にまみれていない証拠。一人除いては、みんな生活に汲々としている。饅頭屋の娘ムイも太極拳のてだれだが、体得した奥義も粉をこねるのに応用するのがやっと。そうか、武道家はみんな生きるのがヘタなんだ。そういえば宮本武蔵だって就職するのに苦労したというぞ。
こんな人たちがサッカーやったらどうなるの? そんなのムリムリ、というのが大方の予想だろう。でも、ひょっとしたら奥義が活かせられるんでは? とふっと思ったらこんな映画になった。日本古来の蹴鞠は、タイの足技(キックボクシング)から来たという説を聞いたことがあるが、もともと「蹴り」の一点では恐ろしく共通性があるのだ。ならば拳法の達人にサッカーをやらせたら秘技やハイパーテクニックが繰り出されるだろう、と思うことはかなりの人間が考えることだろう。日本のマンガでもそんなのがあったかもしれない。しかしそれを映画においてやらせる人間はしかしチャウ・シンチーまで誰ひとりいなかったのだ。
おバカ映画は傑作とクソの瀬戸際にあって天才性がないとキワモノなってしまう難しさがある。邦画ではたいがいがクソにまみれてしまう。ところが港画ではおバカ映画はお家芸とでもいうべき伝統がある。それはやはり権力者が横暴きわまる風土と伝統のなせるわざなのか。