少子高齢化とともに人口減が日本経済の中長期的な課題です。かつて日本は「人口は多し、されど国土は狭し」をスローガンに海外移民した歴史があります。しかし、いまや人口減が課題となっているのです。しかし、人口減と少子高齢化には直接の因果関係はありません。少子化時代でも長寿がさらに延びれば人口減には繋がりません。しかし、人口の構成が変わり、社会保障の負担に変化が生じます。
社会保障の配分だけから見れば、日本の高齢者は恵まれているように見えますが、これまでは比較的健康で就業率も比較的高い、65-75歳の前期高齢者が増え続けたからそう見えるだけで、実際には75歳以上の後期高齢者は「老い」に悩んでいますし、これからは後期高齢者が急速に増えます。ですから、高齢者は比較的豊かだとか、自助努力せよ、自己責任・自己負担せよ、と言う議論は、的を得ていないと、高橋氏は指摘します。
合計特殊出生率は2003年で1.29です。2.08を下回ると長期的には人口の減少がおきるとされていますが、1970年ごろに既に2.00を割りつつあったのです。急速な高齢化社会の到来を意味し、特に後期老年人口が2030年には2097万人になると予想されています。こうした傾向は絶対的な高齢化というより、少子化に歯止めがかからずに起きる相対的な高齢化の影響が重要であり、年金など社会保障に関しては、相対的高齢化のほうが各世代に与える負担と給付の影響は深刻です。
また、平均寿命に依拠して議論するより、平均余命に即して議論すべきだと指摘しています。子どもの老親離れで高齢者の生活は厳しく、また、フローの収入以上に生活費がかさみ、マイナスの貯蓄率になっていますので、ストックの資産格差に注目しないわけにはいかないでしょう。
女性が子どもを産まないのは「女性が社会進出したため」というのは責任転嫁の議論で、よく知られているように、北欧諸国だけでなく、アメリカ、イギリスなど先進国のかなりの国が、女性の社会進出も進み、日本より出生率が高いのです。1973年の福祉元年で国民皆年金となり、さらに、小泉政権の2004年に年金改革がなされ、「100年経っても大丈夫」と政府は喧伝しましたが、高山憲之氏の説明を詳しくまた平易に引用し、若者にとって実は払った分が返ってこないような仕組みだったのです。
PPKとは普段は元気で、ある日突然ころりと死ぬのを「ぴんぴんころり」と呼ぶのを縮めた略語ですが、実際には大部分の老人は、介護、介護のはてにころりでKK状態であると指摘されます。介護も一律ではなく、所得や資産に応じて自己負担額に格差をつけてもいいと提言しています。もちろん、最低料金は今の3割程度に引き下げ、最高料金は現行の3倍程度に引き上げるという柔軟な提案です。
諸外国の例としてアメリカと、フランスの例を取り上げています。ハイエク、フリードマン、ブキャナンなどは基本的に個人が市場で評価される能力(所得)に応じて、医療サービスを受け、老後の生活を送れることが望ましいとしています。新しい企業を設立するのはかなりの資源を支配する個人であり、企業家の輩出する社会こそが望ましいと考えているからで、ケインズのような累進課税には反対するのです。医療は個人の保険で、年金は401kでというのがアメリカ流です。
一方、フランスではボワイエのように、国際競争のために人間社会の幸福を犠牲にするのは、大衆民主主義の承認を得れない、とする立場です。地域での福祉、誰のお金が誰を支えているのかという、顔の見える福祉制度での社会が築かれています。1983年に若年者の失業問題を解決するため、年金支給年齢を65歳から60歳に引き下げたのです。日本でも例えば、京都の西陣だけの年金制度とか、銀座の商店街だけの年金制度がよいと高橋氏は提案しています。
工業化の前は多くは農業を営み、死ぬまで自分の能力に応じて働くことができました。工場やサービス労働では毎年入ってくる若者と同じペースで働かなければならないので、リタイアを余儀なくされます。家族依存型も市場重視型も福祉はたちゆかなくなるのです。社会民主主義型も、高負担には耐え切れなくなってきています。エスピン=アンデルセンの5つの提言(1)女性の雇用の増大、2)貧困からの子どもの救済、3)定年制度の廃止、4)余暇と仕事の組み合わせ、5)教育機会や就職機会の平等を軸とする平等概念の再検討)を列挙し、さらに社会福祉で、金銭給付ばかり考えるのではなく現物給付の割合を上げたり、老人ばかりでなく若者や女性に対する給付を引き上げることなどを提言しています。
わかりやすく少子高齢化の持つ問題点を解説し、その打開方向を示した好著です。