先ず、フル1ページの迫力ある写真に惹かれる。淡島千景を従えてご満悦な谷崎潤一郎、東北本線らしき線路上で独りポケットに両手を突っ込んで俯く広津和郎、羽織・袴姿で自宅の縁側に座ってカメラを睨む若き三島由紀夫など、どの登場人物もそこに生きている。そしてカメラマン樋口氏との交流。「樋口、あれ」といえば「整腸剤ビオフェルミン」のことだった久保田万太郎、文壇宴席を「おれに任せろ」と仲間に請け負いながら、いつも「おい樋口、あとはうまくやれ」と丸投げする久米正雄など、人物像を髣髴とさせる一言がぎっしり詰まっている。
次に、登場人物を各4ページで活写する川本三郎氏の筆の冴え。伊藤整「日本文壇史」を”油絵肖像画”とすれば、本書は”水彩スケッチ画”の一閃の鮮やかさがある。一例だけ紹介したい。退院挨拶に安岡章太郎が井伏鱒二宅を訪れたところ、先客と昼間からすでにいつもの楽しい酒が始まっていたという。《しばらくして安岡は手洗いに立った。気がつくと奥の部屋から線香の匂いがする。井伏夫人に、不幸があったのかと聞くと、思いもかけない返事が返ってきた。「昨日、次男の大助が亡くなりまして、今日、葬式をいたしました」》楽しかるべき酒を身内の不幸で妨げてはならないと、それを伏せて飲み交わす井伏の客に対する気遣いは人柄といってしまえばそれまでだが何か異様とも感じられる。が、川本氏の眼差しは鋭く核心を突く―《子供の死に直面しても平常心でありたいという思いもあったのだろう》。
更に、中野実、源氏鶏太、長谷川町子、山下清など類書では滅多にお目にかかれない人たちが登場するのも魅力だし、65人の作家の作品を(全てではないが)”映画化”・”永井荷風”というナイフ・フォークで味わおうという手法も斬新である。
「どんな本も読み終わるまで長すぎる」と「本」をバッサリ定義したのはフローベル(紋切型辞典)だが、本書は読み終わるのが惜しく、毎日、少しずつ読んだ。自分にとって本書はフローベルの定義から外れる数少ない本の一冊である。