メインの回答者である若桜木虔氏の、小説に対する理解が浅いと思う。
「キャラが立っている」「キャラがステレオ・タイプである」「キャラに魅力がある」などの要素は、対立概念ではなく、組み合わせによって使われる場合がある。プロ作家の作品には、「ステレオ・タイプだが魅力的なキャラ」「人間がリアルに描かれているがゆえに、〈キャラ〉とは呼ばれないが魅力的な人物」がたくさん存在する。
プロ作家は、上記の要素を、ひとりの登場人物の中で複雑に組み合わせ、人物造形を行っていることがある。読者は、作家側が意図的に仕掛けるそのような高度な技術から、本を読む喜びを得たりもするのである。
この本は、そういう作品の書き方や在り方に、一切言及していない。それはそれで別に構わないのだが、すべての作家が、若桜木氏と同じ価値観で小説を書いているわけではないのだから、この方法では、逆に、若桜木氏の価値観の偏りが目立つという、戦略的には裏目な結果が出ているように感じられた。
せっかくの作品名を挙げての批評も、これでは極めて一面的で深みに乏しく、説得力に欠けているような印象を受けた。作品批評をしたいのなら、公の書評を併記するなどして(もちろん、書評を引用する場合には、先方の許可を取って)比較論で語ったほうがよかったのではないだろうか。
また、私が購入した初版本では、大沢在昌氏の名前が、「大沢」と呼び捨てになっていた。(本文 P.85)
評論家が論文を書く場合ならいざしらず、このような内容の本では、普通は礼儀として、敬称無しのフルネーム、もしくは、初出時以降には苗字に敬称を付ける、などの配慮があるべきではないだろうか。
その一方で、「さん」付けで呼ばれている作家もいる。
(対談者ではなく、作家として言及されている人に、「さん」付け表示がある)
このような呼称の不統一に関しては、ゲラの段階で、しっかりとチェックして頂きたい。
なお、大沢氏の作品『新宿鮫』の主人公・鮫島の名が「崇」と書かれているが、これは間違いだ。「崇」は、映画版・新宿鮫の制作者が独自に付けた名前で、原作者である大沢氏は、シリーズ中一度も「鮫島崇」とは表記していない。これは、原作読者なら誰でも知っている逸話だ。
二刷以降の本では、上記二点を、きちんと修正して頂くことを希望する。
※このレビューは以前投稿したものに、多少の加筆を行ったものである。2009年6月2日〜5日の三日間で、他ユーザーからの謎めいた対応が集中的に続き、それが私の他作家に対するレビューにまで及んだので、意図的に、賛成票をゼロに戻した時点(2009年6月6日)から、再スタートさせてみることにした。親切に、もう一度賛成票を入れて下さる方がいるとは思えないから、どれぐらいの数の反対票が入るかという推移のほうを、興味深く見続けてみたいと思う。
*追記*
ところで、若桜木氏のハウツーが「文学目的」ではなくて、純粋な「技術論」の範囲のものであるなら、なぜこの本の中で、すでにプロとして活動している作家の作品を批判したり、プロ作家の行動を揶揄しているんでしょうか。それは批評の領域でしょう。批評というのは、「文学」の一領域ですよ。「文学」をやりたいなら、それなりの手順を踏んで頂きたいものです。純粋に「書く技術」について書く本なら、批評の部分なんて必要ないのでは?