作中の「私」に着目して論じられている,大宰治「人間失格」と横光利一「機械」の章が特に”目からウロコ”ものでした。「人間失格」の主人公大庭と語り部の小説家は同一ではないかというアイデアは想像を超えてます。「薄気味悪い読後感」の原因「人間失格と指さされているのは誰なのか」という投げ掛けまで考えを導いていく手法はお見事。「機械」においては,横光氏が唱える「自分を見る自分」=「四人称」というものについて,実際の文中から分析を行っていて,興味深い内容に頭の中で完全に理解したいと三度も四度も読み返した程です。「書く」立場からの論考は「読む」作業しか行わない私のようなには,思いもつかないものばかりのようで・・・書店に平積みされているようなベストセラーなんか鼻で笑ってやり過ごしているひねくれ者のみなさん,必読です。