小説というものに関心がある人にとって、刺激的な内容だと思う。小説という既成の概念の中で、あれこれ意味を与えて豊かな小説にしようとする(現在のほとんどの小説はそうとのこと)行為を筆者は評価しない。小説そのものを考えること、小説の新たな可能性を追求することが、人生を考えることであり、この世を考えることそのものと繋がっている。だから筆者が哲学や宗教を小説を考える際に持ち出すことは必然なことなのだろう。
ただ、この文章は、筆者が考えを整理して伝えようとしたものではない。筆者も言い訳か、あるいは真に意図しているのか、「読みやすい文章は筆者の考えをただなぞって考えたつもりになってしまう、真に考えるためには悪文が必要」(※保坂氏の言葉そのものではないので念のため)と言う。確かに、文章のクセに収まらない明白な悪文もところどころに存在し、私も筆者の真意を測るために何度読み返したかわからず、それが唯一この書の評価を下げざるを得ないと思われるところなのだが、筆者があえてそれが必要というのもまた理解できなくもなく、それはそれでいいのかもしれないと思い直しているところ。読者にはとっても不親切だけれども、整理して伝わりやすくしたときにはすでに失われてしまっているものが多く、筆者はそれをこそ読者と共有したいと思っているので、その不親切さにもかかわらず読み進め、一緒に考えてくれる読者に向けて書いているのであろう。
文章も、構成も、まったく練られてはおらず、いわば思いつきのまま書き連ねてはいるのだが、それがまた返ってこの小説家の生(き)の思考の生まれる現場を体験するようでいて、逆に新鮮なのかもしれない。でも、ここまで文章や全体の構成に気を使わないで書いたものが商品となるのはうらやましいと思ったりも。(もともとは月刊の文芸誌に連載しているものをまとめたものだから、全体の構成というのは限界があるのだが、それにしてもまとまりはない。。)
読みにくさを覚悟の上であれば、小説及び人生とこの世界に興味を持つものにとってはこの上なく面白い本です。