明治生まれで絶対君主の祖父・幸田露伴、
気丈を絵に描いたような母・幸田文と小石川の家で暮らした
青木玉による10年にわたる日々の思い出語り。
青木玉著「幸田文の箪笥の引き出し」にも描かれる
幸田文の人間的魅力が随所に溢れている。
青木玉の祖父・幸田露伴は、社会的には文壇の寵児であったわけだが、
家庭内では自分の身の回りのこと一切を人にさせる殿様であった。
わずか9歳の孫・青木玉に、
露伴の周囲を取り巻く大人でも苦労しそうな機微を求めるあたり、
現代から見ればただの頭でっかちの偏屈爺である。
そんな祖父との緊迫したやりとりの思い出がいくつも語られるが、
いまだに当惑している雰囲気が伝わってくる。
名高い文学者・露伴は、我々凡人とは別の、仙人界に住む人間なのだ。
青木玉も、この祖父には、尊敬や敬慕よりも、
畏怖の念を抱いていたように思われる。
が、その露伴に滅私奉公する母・幸田文の表現になると、
とたんに文章がリズムを持つ。
もちろん語られるのは優しく楽しい思い出ばかりではない。
だが幸田文の機微や機転、気丈さが活写されるたび、
青木玉の持つ幸田文への尊敬、憧れの念が、そこかしこに感じられるのだ。
おそらく青木玉にとって祖父は理解の範疇を超越した存在だったのだろうが、
幸田文は愛情と目標の対象であったのだろう。
自分の無力さを嘆く文章も、幸田文への愛情の表れに思える。
一番胸を打ったのは、幸田文が自らの両手を眺めているようすを
目撃した場面であった。
あの場面を思い出し、原稿用紙に落とし込みながら、
どんな想いが青木玉の胸に去来したのだろうか。
幸田文同様、親亡き後に筆を執った青木玉。
すべてが片づいた後に表された作品のせいか、
彼女の文章には余計な感情描写がない。
だが感情を詰め込まない淡々とした文章が逆に胸を打つ。
幸田露伴、そして幸田文の為人を垣間見ることができる良書である。