些かまへのことだが、日本語は神の言葉として響かないと称して英訳聖書と独訳聖書を毎日読むといふ人が新聞で紹介せられてゐたのをみたことがある。英語や独語が読めることを自慢したいのでもなからうが、かういふ偏見は全く嫌だね。日本語は神の言葉として響かないが、英語や独語は響くのだらうか。そもそもヘブライ語とギリシア語はどうなのだらうか。これ以上は書かなくても判つてもらへやう。響かないとすればそれは言語の問題ぢやない。読み手の問題、信仰の問題なのだ。正確に翻訳されてゐさへすればいかなる言語でも神の言葉たり得る。