この本は、今後の時代変化として「縮小均衡」を説いている。
また、変わらないこととして「小商い」ということを言っている。
それは、直接性、継続性つまり自然(ヒューマン・スケール)ということである。
自己実現・自己決定・自己責任といったグローバリズムが推奨した価値観ではなく、本来自分には責任のない「いま・ここ」に対して責任を持つという共同体的な成熟した大人としての行動である。そういう考え方・生き方がいままで生き残ってきたし今後も生き続けられるであろうという意味である。
それは、「個」の発見と進展そしてその帰結としてのグローバリズムの受け入れそして、経済成長に行き詰まった先進諸国、この「ろくでもない現在」にどのような立つ位置を取りうるかに対する著者の答えである。
フリードマン流の新自由主義・市場原理主義はリニアな思考の常としてどんなに精密に組み立てても思い通りにはいかず貧富の差の拡大と金銭至上主義の底の浅さを露呈しポジティブな面が翳みつつある。
日本においても同様でありそして更に、既に「富」を獲得したものとして「野生」を喪失している。核家族により地縁は失われた。社縁も失われつつある。
この本は、3・11の災厄の衝撃の下でまとめられている。
進歩史観、西欧文明史観の相対化であるが体験したものでないと肌では分らないだろう。
随処に著者らしい洞察があり愉しい。
例えば、東京オリンピック以降老いのプロセスというものが進歩という言葉の背後に隠蔽された。
もう一つ、商店街に帽子屋があった時代はおとなというものが存在していた。親子がため口をきくような時代からは想像も出来ない距離がおとなとこどもの間にはあった。その時代は、「貧しかったゆえの豊かさ」というお金以外のもう一つの「豊かさ」の時代であった。
下村治の慧眼が高く評価されている。また、出生率についてはエマニュエル・トッドが。