『週刊文春』連載中は、眼を通しても跳び跳びだったし、単行本は、間が空きすぎで途中から買い忘れ、通しで、清張さんの『昭和史発掘』を読んだのは文庫化されてから。従って、文庫本で省かれた本書「番外」編のうちの1本「お鯉事件」と、月刊『文藝春秋』1975年1月号掲載の対談集部分は、僕は初見。
城山三郎氏とは、対談のなかで昭和金融恐慌が語られ、五味川純平氏とは満洲体験が、鶴見俊輔氏とは主に占領期が語られている。
思い起こすと昭和50年という年は、前年からの第一次石油ショックのため、ちょうど現在と同じように世界経済がガタガタになっていた年であり、また、この対談のあと、ベトナム戦争でサイゴンが4月に陥落することになる年だった。自分に引寄せてみると、この年10月、初めて海外取材に出た年となる(1ドル=308円だったよ)。
その昭和50年当時の対談記録を、35年経って、すっかり諸勢力の配置が替った現在を知る高みから見ると、時代的限界に縛られた未来予測の読み間違いなど微笑ましいくらいだが、他方、今では忘れてしまった当時の危機感が蘇っても来る。逆に、当時は誰にでも見えていたはずのことが、いまでは却って見え難くなってしまったというようなケースもあり、時代相の落差に愕然とするが、昨年来のサブプライム債権破綻に発する現在の不況のように、当時の課題が現在まで残って幾つも解決されていないのにも気付かされる。
この対談以後における資料発掘などもあって、もうちょっと昭和史に対する僕の見方はシビアなんだけど、戦後30年目に、高度成長期まえの昭和前半を振返った対談記録が、この昭和50年という時代を、昭和84年(平成21年)になって振返るのに絶好の材料になるというのも、歴史記述には、記述した人間の同時代感覚が必然的に付着するためだからだといえる。
けれども、この間約35年というと、日本人の歴史としては、日露戦争が終わった明治38年から、およそのところ太平洋戦争が始まった昭和16年までのあいだに匹敵し、その35年後がこの昭和50年、さらに35年後に現在が連なるというわけだ。
このような歴史の流れに対し、昭和50年の眼と平成21年の眼と、二つの目玉で複眼的に本書対談諸氏の発言を見ると、歴史のパースペクティブが立体的に浮かび上がって、きわめて興味深い読みものになったといえる。
過去の時代の人々の将来予測が外れたのを笑うことができるのは、現代に生きている我々の特権だが、このような歴史の奥行き感が好く解るだけでも、グッドタイミングの対談集だといえるのではないかと思う。