内容(「BOOK」データベースより)
『「民主」と「愛国」』その他の著書で知られる著者が、文学者、歴史学者、民俗学者、社会学者などさまざまなジャンルの人びとと、国家・「日本」・アジア・歴史・民俗などをめぐって討論する。真摯でスリリングな対談集。
内容(「MARC」データベースより)
深い対話から世界がみえる…。文学者、歴史学者、民俗学者、社会学者など、さまざまなジャンルの人々と、国家、日本、アジア、歴史、民俗などをめぐって討論する。真摯でスリリングな対話から、思想の新しい可能性を見出す。
出版社からのコメント
◆対談集の常識をうち破る”超・対談”!!◆
『単一民族神話の起源』『〈日本人〉の境界』『〈民主〉と〈愛国〉』と次々に話題の大作を世に問うてきた著者の対談は、さすがに密度が濃く、読みでがあります。相手は村上龍、島田雅彦、網野善彦、谷川健一、赤坂憲雄、上野千鶴子、姜尚中、今沢裕の八氏、この手強い方々の著作をほとんど全部読んでから対談に臨み、対談の後も徹底的に推敲するというのですから、その緊張感と迫力はただならない。国家・〈日本〉・アジア・歴史・民俗などをめぐって相手に執拗に食い下がり、その神髄に迫ろうとする姿勢は、相手への敬意、思想への愛情なしには成り立たないものでもあります。世評の高い『戦争が遺したもの』に勝るとも劣らない、対談集の傑作です。
『単一民族神話の起源』『〈日本人〉の境界』『〈民主〉と〈愛国〉』と次々に話題の大作を世に問うてきた著者の対談は、さすがに密度が濃く、読みでがあります。相手は村上龍、島田雅彦、網野善彦、谷川健一、赤坂憲雄、上野千鶴子、姜尚中、今沢裕の八氏、この手強い方々の著作をほとんど全部読んでから対談に臨み、対談の後も徹底的に推敲するというのですから、その緊張感と迫力はただならない。国家・〈日本〉・アジア・歴史・民俗などをめぐって相手に執拗に食い下がり、その神髄に迫ろうとする姿勢は、相手への敬意、思想への愛情なしには成り立たないものでもあります。世評の高い『戦争が遺したもの』に勝るとも劣らない、対談集の傑作です。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小熊 英二
1962年、東京生まれ。1987年東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、98年東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。現在、慶応義塾大学総合政策学部助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1962年、東京生まれ。1987年東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、98年東京大学教養学部総合文化研究科国際社会科学専攻大学院博士課程修了。現在、慶応義塾大学総合政策学部助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
抜粋
本書は私が一九九九年から二〇〇三年までに行った対談を集めたものである。
私自身がかつて出版社に勤めていたので、その経験からもいえることだが、対談ほど安易にやろうとすれば安易にできてしまうものはない。また一方で、真剣によいものにしようとすれば、大変な作業が必要になるのが対談というものである。
当然のことだが、対談は一種のコミュニケーションである。対談と称して、通り一遍のあいさつや、あたりさわりのない四方山話ですますことはできる。だが本当に相互の神髄に食い込むほどのコミュニケーションをはかることが、日常生活において困難なことであるように、充実した内容の対談を実現するのはむずかしい。
まずよい対談を実現するためには、相互の信頼が不可欠だ。相互に信頼や尊敬が成立している場合には、相手の深層に迫るような質問を行ない、深いコミュニケーションをはかることが可能になる。逆に言えば、相手に対して信頼や敬意、予備知識や感心がない場合ほど、あたりさわりのない会話だけですまそうとする傾向が強くなる。
この対談集で私の対談相手となっているのは、作家や学者など、何らかの表現にたずさわっている人びとである。こうした人びとと信頼関係を築くためには、相手の作品を読み込み、「私はあなたの作品に接している。そして評価している」という姿勢を示すことが必要だ。そうでなければ、相手の信頼を得ることはむずかしい。
・・・・・・対談は共同作業だから、私の努力だけではどうにもならない部分があったり、準備や質問が的外れだったりしたこともある。この対談集に収録された対談も、完璧な作品ばかりとはいえない。
しかしさまざまなハードルをのりこえて、対談がうまくいったときは、楽しいものである。人間誰しも、通り一遍のやりとりをこえて、深い部分での対話の回路が成立したと思える瞬間は、たのしいものだということは知っているだろう。願わくば、この対談集の読者にも、そうした楽しさを共有していただければ幸いである。(「あとがき」より)
私自身がかつて出版社に勤めていたので、その経験からもいえることだが、対談ほど安易にやろうとすれば安易にできてしまうものはない。また一方で、真剣によいものにしようとすれば、大変な作業が必要になるのが対談というものである。
当然のことだが、対談は一種のコミュニケーションである。対談と称して、通り一遍のあいさつや、あたりさわりのない四方山話ですますことはできる。だが本当に相互の神髄に食い込むほどのコミュニケーションをはかることが、日常生活において困難なことであるように、充実した内容の対談を実現するのはむずかしい。
まずよい対談を実現するためには、相互の信頼が不可欠だ。相互に信頼や尊敬が成立している場合には、相手の深層に迫るような質問を行ない、深いコミュニケーションをはかることが可能になる。逆に言えば、相手に対して信頼や敬意、予備知識や感心がない場合ほど、あたりさわりのない会話だけですまそうとする傾向が強くなる。
この対談集で私の対談相手となっているのは、作家や学者など、何らかの表現にたずさわっている人びとである。こうした人びとと信頼関係を築くためには、相手の作品を読み込み、「私はあなたの作品に接している。そして評価している」という姿勢を示すことが必要だ。そうでなければ、相手の信頼を得ることはむずかしい。
・・・・・・対談は共同作業だから、私の努力だけではどうにもならない部分があったり、準備や質問が的外れだったりしたこともある。この対談集に収録された対談も、完璧な作品ばかりとはいえない。
しかしさまざまなハードルをのりこえて、対談がうまくいったときは、楽しいものである。人間誰しも、通り一遍のやりとりをこえて、深い部分での対話の回路が成立したと思える瞬間は、たのしいものだということは知っているだろう。願わくば、この対談集の読者にも、そうした楽しさを共有していただければ幸いである。(「あとがき」より)