寺内タケシが自らの会社テラオン(当時は寺内音楽出版)に残し、70〜80年代にアポロンからミュージック・テープで発売された音源で構成されたベスト盤である。従ってキング盤とは別テイクの演奏である。
何と言ってもこの価格でこのボリュームというのは、完全にキング盤を凌駕している。全編に寺内御大の気迫に満ちたロック魂が横溢し、最後の実に9分にわたる「ロックンロール・クリスマス・メドレー」はバニーズ時代に匹敵するワイルドさである。また何曲かでソロを取っているスティール・ギター奏者は、カントリーの第一人者、石田新太郎である。
東日本大震災の被災地の一つである茨城で生まれた寺内タケシは、60年代に世間を襲ったエレキギターに対する教育委員会などからの「エレキ禁止令」などの激しいバッシングに、真っ向から立ち向かい、クラシックや日本民謡をロック・インストによる芸術的な作品に高め上げ、レコード大賞の編曲賞・企画賞を受賞し世間を驚かせた。「今までエレキギターを聴きもしないのに一方的に禁止し迫害し、数多くの高校生を停学・退学に追い込んで来たのは何故なのだ!!」ようやくエレキギターが世間に認められた寺内氏は激怒し、号泣したのである。そしてそれが、今日の日本でのロックの隆盛に繋がっているのである。もしこの寺内氏が「なにくそ!」と立ち向かう根性を持たず、「言いたい奴には言わせておけ」などと「スルー」を決め込んでいたならば、この日本は永久的にロックバンド後進国になっていたのである。その意味では、今のすべてのバンドマンは、いつどこでも誰の前でも気兼ねなくエレキギターが弾けるようになったことを、寺内タケシに感謝しなければならないのである。
日本ロック史を、はっぴいえんどがデビューした1970年から開始する日本のロック・ジャーナリズムは、寺内タケシを批評するのが怖くて出来ないヘタレばかりなのである。日本ロック史を50年代のロカビリー時代から語ろうとすれば、寺内タケシの名は避けて通れない。しかし1970年以降ならば、避けて通れるのである。その結果寺内タケシの残した数々の偉業は、完全に無視されてしまっているのである。
ここにもふざけたレビューを書き、寺内タケシの実力、偉大さを全く理解していない者があるが、この寺内タケシこそエレキギター、そしてロックバンドを日本に定着させた日本ロック史上最も重要な人物なのである。そのテクニックと気迫、そしてギターに対する情熱たるや、ヘンドリックスやクラプトン、そしてジミー・ペイジを上回る、日本が生んだ世界一のロック・ギタリストと言っても過言ではないのである。彼の評価はむしろ海外のほうが評価が高く、それに反してここ日本ではマスメディアからも音楽ファンからも徹底的に無視され蔑視され嘲笑され続け、特にロック系のメディアからの正当な評価は皆無なのである(このCDに解説が全く付いていないことからも解る)。これまで寺内タケシのアルバムを120枚以上聴いてきた私は、血の流れる日本人として、常にこのことに関して疑問と激しい怒り、そして寺内タケシのファンであることの強い危機感を抱いているのである。
日本はアメリカに次ぐ世界第二位のCD・レコード生産国であるが、本当に「音楽」を心から愛している音楽ファンは、ほんの少数である。日本人の大部分はアイドル性と話題性、そして「時代の空気」に押し流されてCDを購入し、配信音源をダウンロードしているのである。そして「洋楽至上主義」に溺れきり、寺内タケシのように日本人として「日本の音楽」を守り抜く姿勢を持っているロック・ミュージシャンを、徹底的に嘲っているのである。
(2011.5.20追記)
1965年10月「エレキギター禁止令」を最初に発令し、数多くの善良な当時の高校生を容赦なく停学・退学に追い込んだ栃木県足利市教育委員会は、2011年5月17日に、多額の東日本大震災のための義援金を着服していたことが発覚した。昔も今もその腐敗体質は全く変わっていないのかと思うと、激しい怒りが込み上げてくる。