こんな事を言ったら、クロサワファンから蜘蛛巣城のごとく矢が飛んで来そうだが、黒澤明は「偉大な凡人」監督だったのだと思う(これは褒め言葉です)。彼の映画が凄いのは、多くの映画監督たちがやってみたいと考えながらも「でもムリだよな・・・」と諦めてしまうような事を、尋常ではない並外れた精神力で実現してしまった事、なのだと思う。
一方で、真の「映画の天才」は誰かと問われたら、それはオーソン・ウェルズに他ならないと思う。ウェルズが凄いのは、誰も思いつかなかった映像表現を生み出した事、なのだ。もちろんここでは「パンフォーカス」といった映画の授業のような話をするつもりはない。彼が後の映画に与えた(そして今も潜在的に与え続けている)影響の大きさについて語りたい。
「燃えよドラゴン」の鏡の間のシーンは「上海から来た女」のパロディだというのは有名な話だが、実は誰も指摘していない事だが、「ブレードランナー」は「市民ケーン」の映像表現から間違いなく大きな影響を受けている、のである。人物の頭上に、広大な空間が存在する室内セット。その中にスモークを炊いて霞ませ、逆光ライティングで光の軌跡を作る・・・一体ウェルズは、どうやってこんなビジュアルを思いついたのだろうか。
リドリー・スコットは「ブレラン」以降、自身のトレードマークのように逆光スモークを使用し、ウェルズに言及したこともないので、あの手法はまるでリドリーのオリジナルのように思われているが、実はスモークを利用して光の軌跡をつくる、というのは撮影監督のジョーダン・クローネンウェスが提案し、喜んだリドリーが採用したものだ。クローネンウェスはもう故人なので「ブレラン」の愛蔵版DVDには彼のインタビューは収録されておらず、「逆光スモーク」のルーツは何だったのか、残念ながら正確なところは判らない。しかし筆者は、オーソン・ウェルズの映画がそのルーツなのだと信じる。
ウェルズの映画は、表現主義的な構図とアヴァンギャルドな視覚的刺激で溢れている。それ故に、映画監督以上にカメラマンたちに大きな影響を与えているようだ。
『審判』はウェルズ映画の中でも、その映像表現の天才性が際立っている作品だと思う。街の風景の切り取り方ひとつで、何の加工もしていないのに近未来の荒廃した風景のように見える。ものものしいセットを建てなくても、無機質で不条理な世界観を見事に創り上げているのだ。
そして光と影、鏡などを使った映像表現は、その後の多くの映画や映像作品に引用され、今ではその多くのルーツが「ウェルズ」だということさえ、忘れられながらも ― 受け継がれて、いる。部屋の中に、格子状の光と影が縞模様を作る照明効果 ― これはヴィットリオ・ストラーロが「暗殺の森」の撮影で注目された手法だが、この照明テクニックのルーツを辿っていくと、『審判』のクライマックスでアンソニー・パーキンスが逃げまどう狭い通路のシーンにたどり着く。ストラーロも、「暗殺の森」の前半部分は「白黒映画」のような画創りを目指した、と言っている。それはウェルズへのオマージュに違いない。
『審判』のDVDソフトを巡る状況はファンとしては非常にむずがゆく、IVCから発売されている本商品は、おそらくビデオ用マスターの転用と考えられ、あまり画質が良くない。一方でユニバーサルから発売されているソフトは、画質も良く、特典映像でドキュメンタリーなどもついていて嬉しい一方で、版画アニメショーンで知られるアレクサンドル・アレクセイエフによるオープニングがカットされている(IVC版は収録されているのだ!)。これはウェルズが後に自らカットしたと言われているが、批評家の多くから「本編よりもオープニングの方が優れている」などと言われたため・・・怒ってしまったのだろうか?
そんな訳で、どちらを選ぶのか・・・はユーザー次第。まったくDVD時代というのは、画に描いたような消費社会。不条理だ(泣)