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・・・などと言えば、見も蓋もないですが、そんな、世の中の建前に著者の鋭いつっこみが飛び交い、うならされます。実は、話題の「負け犬の遠吠え」の著者だとは知らずに読んだのですが、単なる服装や見た目から現代日本文化論にまで近づけての考察、いやおもしろかった。
日常生活において、私たちはこんなにも見た目に影響され、それに一喜一憂して生きているんだなあ、と感じました。
著者は、かつての、均一的な流行の存在や、「それらしい服装」が許されたものの、現在では、安価でも「センス」がいいとされるファッションが多数出現したため、実のところ、何歳であろうとも、どういった社会階層であろうとも、「容姿戦線」から撤退することが逆に困難になっていると指摘している。
さらに、こうした「容姿戦線への総力戦」とも言える状況のなかで、リベラル的な「容姿は関係ない」といった表向きの認識が、逆に、容姿によって損失を被っている人々が、容姿ではなく、「自分」の問題として認識しなければならないという状況に追い込まれているのではないかとも指摘していることは、示唆的である。
このことは、実際には階層格差が存在していながら、高度成長期の「総中流意識」のために、それが前提とされずに、逆に階層の固定化や階層移動の可能性が縮減されてしまった、ということとも関連するともいえる。すなわち、容姿によって「損得」が存在するのであれば、それを前提として、容姿によって損を減少する方策を考えるなり、また、それを乗り越えるだけの方策の構築が可能なはず、ということだ。この意味でも、実際の格差や構造の自己満足的隠蔽に過ぎない、いわゆる「戦後民主主義的」思考の欺瞞性は明らかだろう。
しかしながら、これはあくまでも評者の「読み」に過ぎず、著者が、ここまでの問題意識を有しているかは、必ずしも明示されていない。確かに、著者は、極めて淡々として指摘しているに過ぎず、逆にこうした「実証」の積み重ねこそが、土台となる強固な主張の存在を示唆するのではなかろうか。こうした意味で、著者の問題構成力と洞察力の独自性と鋭敏さには、感銘を受けるところである。
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