保阪嘉内(盛岡高等農林学校の1年後輩で,同人誌「アザリア」の同人でもあった)と2人で法華経の信仰と実践に生きる生活がしたかったという宮沢賢治の希望。これに対して,嘉内は,賢治の観念論を批判し,農村での実践によって暗い現実を変えたいと決心していた。大正10年の嘉内との訣別は,法華経への信仰への疑念を賢治に抱かせたし,また,法華経に背を向けて去っていった友に対する未練が捨てきれず,自分が嘉内に恋愛感情に近いものを抱いていたことを自覚させた。
法華経への信仰と疑念(=嘉内への愛)。これが,大正10年以降の賢治の苦しみ・悩みの根源にあるものだった。
筆者は,以上のように,嘉内との友情(精神的な同性愛)という視点から,「春と修羅」「銀河鉄道の夜」などの文学作品や,羅須地人協会・東北砕石工場などにおける活動などを分析する。
例えば,妹トシの死を悼んだ「無声慟哭」。
トシは,宮沢家で唯一の法華経信者であり,かつて賢治が諭した「まことの国」にまさに旅立とうとしている者であった。しかし,賢治は,すでに法華経に対する疑念を抱いてしまっていた。「まことの国」が存在しないなら,トシの魂は,いったいどこに行ってしまうのか? 未だに法華経信者のような顔をして,自分では疑っている「まことの国」にトシを送り出すというのは,トシに対する裏切りではなかろうか。
こうした,言葉に出せない迷い・悲しみを隠すために,賢治は,大声で泣くしかなかったのである。
以上の解釈は,少なくとも「トシとの近親相姦」というような解釈よりは,説得力があるように思われた。