内容紹介
歴史に残る激闘の末日本一を手にした千葉ロッテマリーンズ。
それはミラクルでも下剋上などというものでもなかった。”ある特殊な教育”がそこにはあった。
主役となった西村・落合・サブローに福浦…「このゲームを落としたら『4位確定』」!だったシーズン最終戦。
千葉ロッテマリーンズの下剋上はそこから「1ヵ月間に及ぶ『延長戦』」を闘い抜いた。
それをささえた西村監督、サブロー、福浦、そして落合。彼らに共通する同じ教師がいた。
教科は『いかにして打ち、そして勝つか』
原点となったロッテオリオンズの面々。彼らが実名で登場します。そして舞台は今はなき川崎球場。
すっかり薄れてしまった感のある義理と人情がグラウンドにあふれていた時代の「演歌的パリーグ」を、この「体温のある球場」をステージに描いた長編。
データ資料としてもパファンならばぜひ本棚に残しておいてほしい本。
庶民だけが愛した、この小さな球場を生活の場とする選手コーチはもとより、ラーメン屋、報道陣、グラウンド整備に一生を捧げた男。宣伝カーのハンドルをウグイス嬢までが握って、ようやくやって来たわずかばかりの客、ツッパリの高校生らの応援団に対して選手らは…。
だがこうした閑古鳥たちもスジ金入りだった。
さらにどこか憎めないダフ屋にもみ上げカールの案内おばちゃん。
たった「一杯だけの贅沢」と決めてちびちびビールカップ片手に声援送った、ナッパ服の川崎労働者。
灰色の街並みに黒い煙突がひしめいていた。この球場はいつだって閑古鳥モードから脱せない。
風向きによって時おり潮の香りが運ばれてくるこのスタンドが、いつかこの気持ちを解ってくれる観客で一杯となる日をすべてのここに集まる者たちは夢見ていた。
「ヒジの腱」が切れたって、スネが真っ二つになろうとも、また左目が落ちる危険を、仲間はもとより誰にも知らせないまま、男たちは戦い抜き、そして去った。
そしてスタンドのお客さんへは何事もなかったかのように、あいつもこいつも、こだわりぬいた「定位置」へと土を蹴たてて走る。
****語り部を除きすべて登場人物は実名で実話。「10年以上」の取材データの蓄積をベースにしたノンフィクション。
それだけに、ある賞を受賞しながら、お約束の「単行本化」での公開は問題多く、ホトボリが冷めるまで待ち、刊行した一冊。
レビュー
【夕刊フジ 2010年10/19付より】現在、ロッテナインに同行している夕刊フジ笹森記者がきょう(19日付)で素晴らしい記事をものした。
以下【夕刊フジ 10/19版より】
以下原文のまま
前略…サブローは「(打球が)前に飛べばいいんだけど…」と自嘲気味に話すが、絶不調の中でも4試合で4四球を奪うなど、「つなぎの4番」に徹している。
(昨日の試合ではなんとサブロー一人に対し41球も投げさせている…前野追記)
その打撃の原点は、2002年に指導を受けた「1番の師匠」、故高畠導宏さん(享年60)だ。
高畠さんは7球団で打撃コーチなどを務め、中日・落合監督やロッテ・西村監督らを育てた、名伯楽として知られる。
03年には高校野球の指導者を志し、教師として福岡に赴任。
最後の弟子に当たるサブローと1歳年上の福浦は、遠征で福岡に来ると高畠さんに教えを請う、師弟関係を続けた。
04年、高畠さんは思い半ばで膵臓(すい臓)ガンのため死去。05年の日本シリーズで、教え子たちの活躍を見届けることはかなわなかった。
それを破竹の4連勝で日本一に輝いた当時の秘話がある。
スポーツグッズ鑑定家で、フリーライターとしてロッテを川崎球場時代から取材してきた前野 重雄さん(57)が、近著「 客は幾万来なくとも 川崎球場一部始終」で明かしている。
第一戦の試合開始直前、高畠さんの未亡人から、チームに生前の高畠さんの写真をあしらったキーホルダーが差し入れられた。
ナインの大半がすすり泣き、キーホルダーをユニフォームにしのばせて阪神をしりぞけ日本一を勝ち取ったという。
サブローは今も本拠地(幕張)の試合では、高畠さんのゆかりの品を身につけてプレーする。
福岡のCSでも特別な思いを乗せて奮闘しているが、打撃不振から脱出するもうひとつのカギがi師匠の遺言だ。
高畠さんは病床で、フォームを崩しやすいサブローに、「お前のことは福浦が一番知っている。困ったときは聞きなさい」と助言。福浦にも後見役を頼んでいた。
(中略) ロッテは05年もシーズン2位からプレーオフに進み、同1位のダイエー(現ソフトバンク)を福岡での最終戦で破って、頂点まで駆け上がった。
あれから5年後、同じ球場で、ベテラン2人の強いきずなが栄光への架け橋となるか。 (笹森倫記者)