倫理・道徳とは行動の基準、指針を示すもの。倫理学は基準となる原理を巡る学問です。
シンガーの提案は「利益に対する平等な配慮」という原理。これを機軸にすえて安楽死・中絶・新生児の治療停止など生命倫理として扱われるトピックに対し回答を示していきます。
利益に対する平等な配慮とは「自分も含めてあらゆる存在の利益を等しい重みをもって扱え」というもの。私益を他者の利益に優先してはいけない、ということです。
このこと自体は特になんということもないのですが、個人的に面白いと思ったのは上の原理が「利益が存在しないならば、道徳的ジレンマも存在しない」ということを包含しているということ。たとえば、無脳症や脳死状態のように神経機能を永続的に欠いてしまっているのなら、生存はもはや何の利益にもなりえないのだからその状態にある者を死に至らしめるのは許容される、というより本質的には道徳的問題ではないということになります。その場合には、当人ではなくその周囲の人間の利益が斟酌されるべきということになる。最初は至極温情的に思われた平等な配慮の原理がにわかに冷酷無比(に見える)に様変わりします。
ひとつの原理から論理的に個々の問題に答えていくシンガーの議論の運び方はさながら堅牢な城壁を思わせます。生命倫理の議論では一般人・識者を問わず根拠の乏しい不安をあおるに過ぎないもの、「不自然だ」という愚にもつかない主張をするものが目立ちますので、本書のような議論を参考にして全うな議論を見極めるための視野を養っておくのもいいと思われます。