日本の美術史家であった岡倉天心は、親しい友であり、文通相手である女性詩人プリヤンバダ・デーヴィーのことを「宝石の声なる人に」と呼び、プリヤンバダは「私は、雲と霧でできた夢の落し子をやさしく保護し、大切に取り扱いましょう」と答える……。
今からちょうど100年ほど前の1913年、日本とインド・ベンガルとのあいだで交わされた英語による往復書簡集が、大岡信・大岡玲さんの編訳による日本語で読める機会に立ち会うことができました。
日本語に訳された文章を通しても、天心がプリヤンバダを「宝石の声なる人」と呼ばずにはいられなかったその理由が十全に伝わってきます。
世界について、自己について、そして異国に住んでいる心の通いあえる唯一の友のことを、プリヤンバダのように静かに、高貴な感性とみずみずしい言葉とで描き出すことのできる人は、現代ではほとんど皆無といってもよいほどです。そして、そのような稀有な存在者は、ほとんど誰の目に触れることもなく、歴史の扉の向こうに静かに消えてゆくほかはないのでしょう。その扉が閉じる一瞬前に、奇跡のように、その言葉に接するという僥倖を本書によって得たのでした。
……微風は涼しく、軽やかで、いたずらっぽいので、私は心が軽くなり、長いあいだ感じなかった解放感を感じました。
物思いの中の幸福、というようなことを考えていました―突然すべての悲しみ、落胆、あこがれが激しさを失い、甘やかな満足感が心に満ちました。
ですから今朝早くから、あなたに話しかけて、この思いがけない安息を、距離を隔ててはいても分けてあげたいと思っていました。周囲全体の情感が私の心をやさしさの中にとかしこみ、私の勝手な望みは消えてゆきました、少なくとも今日だけは。
私は忍耐と、急いだり、考えなしになったりすることのない思いやりあるやさしさをもって、すべての重荷に耐えていけるという自信を感じています。
……あなたもときには、耐えがたいと思われるような環境を思考がさらに圧迫してしまうのを感じませんでしたか。
そして、人生さえも極めて生きがたいものになり、突然思いがけず、あなたの中でたやすく絶望を感じたことは?
ただ一日が静穏で、日の光が恵み深かっただけで、精神の眺めは変り、やさしい慈悲があなたの心を満たし、感謝に満ちた諦念をもってすべてを受け入れ、ありとあらゆる悪戦苦闘に対して十分抵抗できると感じたことはありませんか。(1913年7月9日付のプリヤンバダの手紙の一節)
「恩寵」と呼ばざるを得ない世界がある。神や信心についていっさい語ってはいなくとも。それについての文であると思いました。借り物としての権威の匂いはどこにもありません。彼女がいかに直感的にその世界を一瞬でとらえることに長けていたか、それを、自分の身の丈にあった平易な言葉で表現することに優れたかたであったことか。このような優しい友の語りかけをその胸に抱いたまま51歳の生涯を閉じることのできた岡倉天心は、やはり幸せな人生を終えたといえるでしょう。