スティーブンソンの宝島は、あまりにも有名な児童文学であり、その訳、出版は多岐にわたる。本書はその中でも、訳は硬い印象を受け、その対象を児童とするには難しいと感じた。しかし挿絵もリアリティーにあふれ、文体・表現も素晴らしく、手に汗握る冒険鐔としての価値はとても高いように感じられた。
どの児童文学と呼ばれる本にも共通のことであるが、本書の主人公は「子ども」である。しかも子どもが現代のような学校の中で育ち、社会に出てゆくような教育は行われていない。出版されたのは1883年であるから、義務教育すら整っていない時代である。
大人の中で、それを発達のモデルとして自分の中で咀嚼し、真似ることで成長するしか手段はなかったであろうが、本書のホーキンズの「生きる力」には感服させられた。生死すらも自分の判断次第で左右されてしまう冒険は、きっと宝島の宝以上に彼に大きなものを与えたであろう。物語の最後に登場する晩餐のなんと彼の楽しそうなことか。苦しい冒険を生き抜いてこその楽しみである。
このような子ども(ホーキンズ)は、大人への警告として存在するのかもしれない。教育のもつ暴力的な意味。冒険の与える無意図的な教育・・・現代においては世間からとっくに自明のこととしてうけとめられていた教育という営みが問い直されるのは本書のような舞台においてである。
途中第一人称が違った人物で語られる部分は読みにくかったが、素晴らしい作品であることに変わりは無い。魅力的な幾人もの登場人物(ホーキンズ以外でも)が、きっと読者を冒険の世界へと誘ってくれることであろう。