著者は、「私」について以下の見解を持っている。
我々の脳は、時々刻々ごと刹那に我々の心を構成している。
我々の心は、下から火で焙られている限り顕現し下でゴソゴソやり続けてくれる働き(脳幹の網状神経回路)が止まるとフッと消えてしまう幻像の持続から成っている。
意識、「私」と言っても同じ。「在る」のではなく「成る」である。
無論、宇宙全体がある局所に「脳」を作り、その部分の活動が我々に心として与えられている。
「私」は、区別の第一歩であり脳(脳も実は体であるが)も体も「私以外」に属する。「私」は、「私以外」が支えている。
そして、死・睡眠により「私」は存在しなくなるのである。
「私」は、老いるもの(通時的アイデンティティ)でなく、時々刻々顕現しているのだ(共時的アイデンティティ)。
この視点での人生相談の答えが役に立たないはずがない。聴いていたら眼からウロコが落ちよう。
頭でっかちの建前でなく、「私」を一回通した具体の本音だから。
残念ながら、著者は平成13年に天寿を全うした。合掌。
巻末の追悼記事に共感する。