登録情報
|
「彼がいいたいのは、他者が存在するということ、つまり、認識対象物にも美的対象にもけっしてならない個々の人間がいるということであり、それを抑圧するものに対して(中略)闘い続けるということである。」「美学の効用」(p171)
ラカンのいう「ボロメオの環」(p21)のように強固なキャピタル=ネーション=ステートの三位一体に対する著者の闘いは、美学とその歴史に関する考察の中で、より射程が長くなっていると言える。
この一行だけでも著者が、前作『トランスクリティーク』から思考を前進させていることがわかる。実際には著者もあとがきで言うように前作以前の論考を含むとはいえ(『批評空間』『文學界』掲載)、著者にとって新たな地平を築くものだし、注などで軽く触れられる「普遍言語」の創設への意志など(p207,262。著者は前作で地域通貨というより代替通貨を提唱していた)、驚くべきことも多い。攻撃性の内面化が文化をもたらすという指摘など、この書全般で行なわれるカントとフロイトの『トランスクリティーク』(p69。相互的に読み合い、あらたな地平を切り開く)は、現在の世界状勢的を鑑みても考察を要するものだし(p58のネグリ『帝国』へのコメントが秀逸)、今後の、アソシエーション(友愛の経済的展開)に内面的な裏づけを与えるという点で、必読である。
また、日本の明治以降の美学的及び内在的闘争、つまり「文化(ネーションと美学)」を扱ったこの書が、同じ著者の文学を扱った著作群(『日本近代文学の起源』など)と理論的な著作群(『隠喩としての建築』など)との「間」をつなぐ著作であることも追記しておく。
個人的には、定本3が青色、定本2が緑色、この定本4がグレーといったように、デザイン的色分けも興味深い。
|
この商品のクチコミ一覧
クチコミを検索
|
関連するクチコミ一覧
|
|
|