定本と名を打っているが、文春文庫版と定本とをくらべてみると文章を直していない初期形態に近い文庫版の方に初心のエネルギーを感じる。
第3章の「ひかりといのち」に書かれる親鸞を中心とした真に迫る短い文章からは、死をめのまえにした現場だからこそ書き得たものであり、圧倒的な迫力がある。
それだけに、以下の点が気になる。引用の中のあまりに多い言葉の違いである。
36ページ以下に掲載される宮澤賢治のみぞれの歌には、多くの言葉の違いがある。
歴史的仮名遣いで引用され始めたかと思ったら、急に新仮名が交じり、この歌の特徴である"わたくし"ではなくて、"わたし"になっている。
文春文庫版40ページ以下との間にも、いくつかの相違がある。文庫版は主にこの詩の初版により、定本はおもに新潮文庫版・岩波文庫版によっているようである。
移動についてはここが詳しかった。
http://www.ihatov.cc/tabl_1.htm
あまりに有名な文章だから、何らかの引用についての注釈が必要だと思う。例えば著者が慣れ親しんだものがこれであったとか。永訣の朝、と言う詩をわざわざみぞれの詩と紹介した著者である。定本と文春文庫版との相違については、定本の方に何らかの説明が必要ではないか。
このサイトのレビューアーのおすすめにしたがって定本を予約した。本屋で文庫本も購入して読み始め、その圧倒的な迫力にぐいぐい引き込まれた。その後定本が到着してあらためて定本を読み始めると、ずいぶん違和感がある。この違和感が気になり、二つの本の違いを調べると、かずかずの言葉に違いがみつかった。かなりの文章が書き換えられている。たとえば、
文庫本58ページには
"肩を落として帰っていかれたM先生の後ろ姿を、今も思い出す。"
定本52ページにはこの一行が欠落している。鮮やかなイメージを、著者はなぜ削ったのだろうか。
この本に語られている著者にしか書きえない内容からすれば、上記の違いは些細なことかもしれない。定本には著者の詩や、童謡がのせられている。「つららの坊や」からは、レオ・パスカーリアの「葉っぱのフレディー」を思い出した。いずれも季節の移り変わりを見事に描き出して、忘れがたい。
文庫版は「・・を著して』が長過ぎるから、星4つ。第3章までなら星5つ。定本は文庫版以下であり、最後の童謡を加味しても星三つと評価する。