この選集に収録されているのは、『世界宗教の経済倫理』の「序論」と「中間考察」であるが、「序論」の難解さに比べて、「中間考察」は、非常に読みやすい。
この箇所で、最も注目されるのは、「悪の信義論」の三類型であろう。
特に、一神教における悪の信義論は、分かりやすい。
ほとんど、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のイワンの議論で説明されている内容と同一だからだ。
ところが、不思議なことに、注釈には、トルストイやその他の小説家の名前が出てくるのに対して、ドストエフスキーの名前は、呈示されていない。
やっぱり、大先生でも、ネタばれは、少し恥ずかしいのか、と思った。
『古代ユダヤ教』の冒頭の節の締めくくりに、ヤハウェという絶対神と、ラーという王を神とする古代エジプトの宗教を、相互の観点から見て、比較している部分があるが、認識論の応用方法として、『赤と黒』なみに分かりやすいと感心したものだ。
しかし、この中間考察で行われている世界観の対比方法は、それに加えて、動的な認識の変化も分析しており、興味深さのあまり、自分でも行ってみたくなった。
勿論、正統な読み方は、意識の存在拘束性は、一元的に決定されるのではなく、社会的存在と親和性のある可変的なイデオロギーと結合する、という方法論が説明されている、と言うべきだろう。