本書は神を信じないドーキンスやデネットの読者に向けて書かれたもの、と思いきやそうでもないようだ。かといってプロヴィンシャルな宗教哲学者や哲学者に向けられたものでもない。訳に関してはすべからくの誤用等も見られるが読みやすさは可もなく不可もなくといった所。 神を世界観として解釈する哲学に対し豊富な文学的修辞の宝庫として提示している。だがアクィナスの世界誕生仮説と世界観の違いがさっぱりわからない。アクィナスをどう解釈すればそう読めるのか。ムージルにはそんなことは書いていない。言語ゲームについて言及した2章でも宗教間の相互通約可能性について理解しているとは言い難い(これは彼の監修した映画ウィトゲンシュタインについても言えることだが)。4章のマルクス主義が居場所をなくし移動した先が神学だったというのは大いに賛同できるし宗教学では常識に属することだが、ナンシーの仕事などをみるにつけむしろ先人が放棄しやり残した仕事を仕方なく行っているといった様子(ナンシーの仕事自体は評価できるがでは何故イーグルトンはそのような仕事を行わないのか)。ただ結論で日本のスピリチュアルブームと同じく、人類が本来の姿をとりもどすと云々いったくだりには落胆の念を禁じ得ない。