乙卯歳、至建寧。藤柯山,母患-手臂不挙、背-悪寒,而体-倦困。雖,盛暑、喜穿-棉襖。諸医、倶作-虚冷,治之。予,診其脈-沈滑、此-痰在経絡也。予,鍼-肺兪,曲池,[足]三里穴、是日,即覚-身軽,手挙、寒,亦不畏、棉襖-不復着矣。後投-除湿化痰之剤、至今康健、諸疾不発。若作虚寒、愈補,而痰愈結、可不慎歟!
1555年、福建省の建寧は藤柯山にて、母の腕が挙がらなくなり、背中が悪寒して身体が怠い。盛夏だというのに綿入れを着ている。医者は誰しも虚冷と診断して治療していた。私が脈を診ると沈滑である。これは経絡に痰がある脈象だ。私が肺兪,曲池,足三里穴へ刺鍼すると、その日から体が軽くなって手が挙がり、寒けもなくなって綿入れを着なくなった。そのあと除湿化痰の薬剤を投薬し、今も健康で、諸病が起こらない。もし虚寒と診断すれば、補うほどに痰が勢いを得て凝結する。慎重にすべきだ!
*虚冷とは陽虚。滑は湿の脈、肺は貯痰の器、脾は生痰の器だから、脾胃の足三里を取る。痰は実証。
戊午春、鴻臚,呂小山。患結核-在臂、大如柿、不紅不痛。医云「是,腫毒」。予曰「此是,痰核-結於皮裏,膜外、非薬-可愈!」。後鍼-手曲池、行六陰数、更灸二七壮、以通-其経気、不数日,即平妥矣。若,作-腫毒、用以-托裏之剤、豈不傷-脾胃,清純之気耶?
1558年春、鴻臚の呂小山は、リンパ結核が腕にある。大きさは柿ほどで、赤くもなくて痛みもない。医者は「オデキだ」という。私は「これは痰核[痰の塊]が皮膚内部の膜外に固まったもので、薬では治らない!」と言った。あとで曲池へ刺鍼し、六陰の数で運鍼したあと、さらに灸を二十七壮すえて、数日もしないうちに消滅した。もしオデキと診断して托裏の薬剤[毒を追い出す薬物]を使っていたら、どうしたって脾胃の清純な気を傷つけてしまうだろう。
己巳歳,夏。文選,李漸庵-公祖夫人、患-産後血厥。両足,忽腫-大如股、甚危急。徐,何-二堂尊,召予,視之、診其脈-?而歇止。「此-必得之,産後悪露-未尽、兼風邪-所乗。陽陰,邪正-激搏、是以厥逆、不知人事、下体腫痛。病勢-雖危、鍼-足三陰経、可以無虞」。果如其言、鍼行飯頃,而蘇、腫痛,立消矣。
1569年の夏。編集の李漸庵夫人が、産後に意識がなくなった。急に両足が大腿のように腫れて、非常に危険である。徐と何の二人は、私を召し出して診察させた。その脈は?で、時々止まる。「これは産後の悪露が出尽くす前に、風邪が侵入したものである。陰陽の正と邪が激しく戦って失神し、意識がなくなって下半身が腫れて痛む。病状は危険だが、足の三陰経に刺鍼すれば心配ない」と言った。果たして言葉どおり、刺鍼して30分ほどで蘇生し、たちどころに腫痛も消えた。
*恐らく三陰交へ刺鍼したと思われる。
甲戌,夏。員外熊,可山公、患痢,兼吐血-不止。身熱,咳嗽、繞臍一塊痛,至死、脈気,将危絶。衆医云「不可治矣」。工部正郎-隗月潭公、素善。迎予,視其脈-雖危絶、而胸尚暖。臍中一塊,高起,如拳大。是日,不宜鍼刺、不得已。急鍼-気海、更灸,至五十壮,而蘇、其塊-即散、痛-即止。後治痢。痢愈、治嗽血、以次,調理-得痊。
次年,陞職方、公問-其故。予曰「病有標本、治有緩急。若拘於日忌、而不鍼-気海、則塊,何由而散?」-「塊既消散、則気-得以疎通、而痛止,脈復矣。正所謂,急則治標,之意也。公体,雖安、飲食後,不可-多怒気、以保和-其本。否,則正気乖,而肝気盛、致脾土,受尅、可計日,而復矣」
1574年の夏。員外熊である可山公は、下痢と嘔吐が止まらない。発熱して咳嗽し、臍の周囲が死にそうに痛くて、脈気が絶えようとしている。医者たちは「治しようがない」という。土木部の役人である隗月潭公は、やさしい性格である。私を迎えた。その脈を診ると、危険ではあるが、まだ胸が温かい。臍中に拳大のシコリが盛り上がっている。その日は刺鍼すると悪い日だから治せないはずである。しかし、すぐに気海へ刺鍼して、灸を五十壮すえると蘇生し、シコリも消えて痛みも止まった。そのあと下痢を治し、下痢が治ったら喀血を治して、最後に養生すると治った。
翌年は昇級し、公は理由を尋ねた。「病には標本があり、治療には緩急があります。刺鍼して悪い日などに捕らわれて気海に刺鍼しなかったら、シコリはどうして消えましょう? ......シコリが消えたのだから、気が流通できて痛みが止まり、脈が回復しました。それが急ならば標を治すという意味なのです。公の身体は安泰ですが、飲食したあと立腹してはならず、本を平和に保ちます。さもなくば正気が乖離し、肝気が盛んになって脾土が虐られ、月日が至れば再発するでしょう」と私は答えた。
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