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完訳 統治二論 (岩波文庫)
 
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完訳 統治二論 (岩波文庫) [文庫]

ジョン・ロック , 加藤 節
5つ星のうち 4.7  レビューをすべて見る (9件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容紹介

イギリス社会が新興の中産階層の力で近代社会へと脱皮した時、その政治思想を代表したのがロック(1632-1704)であった。王権神授説を否定し、政治権力の起源を人びとの合意=社会契約によるとした本書『統治二論』は、アメリカ独立宣言の原理的核心となり、フランス革命にも影響を与えた。近年のテキスト考証に基づく、全篇の画期的新訳。

内容(「BOOK」データベースより)

イギリス社会が新興の中産階層の力で近代社会へと脱皮してゆくとき、その政治思想を代表したのがロック(1632‐1704)であった。王権神授説を否定し、政治権力の起源を人びとの合意=社会契約によるとした本書は、アメリカ独立宣言の原理的核心となり、フランス革命にも影響を与えた。政治学史上屈指の古典の全訳。

登録情報

  • 文庫: 640ページ
  • 出版社: 岩波書店 (2010/11/17)
  • ISBN-10: 4003400771
  • ISBN-13: 978-4003400777
  • 発売日: 2010/11/17
  • 商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 3 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.7  レビューをすべて見る (9件のカスタマーレビュー)
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24 人中、22人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
この訳本が出たのは2010年10月、文庫版になる前の単行本は2007年9月に出版されている。

しかし、どういうわけか、この文庫版のレビューには2007年以前のものが相当含まれている。
これは、もしや、別の訳者による岩波文庫版『市民政府論』(原典は同じだが、第二部のみ)に対するレビューではないか?
であるから、レビューを参考になさる方は、投稿日を確認しながら参考になさるとよいと思う。

ちなみに、『完訳 統治二論』は、第一部と第二部とが収められている。
訳文は『市民政府論』より格段に読みやすくなった。
このレビューは参考になりましたか?
31 人中、25人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
この著の古典ぶりは言わずもがななので訳語について紹介してみます。

ロックのこの本のなかのviolenceとforceの使い分けにもっとセンシブルになるべき、だと私は考えます。
この翻訳では、場所によってはforceを暴力、と訳したりしています。

violenceは暴力、forceは(強制的な)力と捉えるべきです。そしてforceは軍事力などの意味も含むものです。
言ってみればviolenceは水平的関係間でのもの、forceは垂直的関係間でのもの、と分類できるでしょう。

たとえば有名な場所で、

「誰でも権利がないのに、forceを用いるものは――法が無いのに社会でforceを用いるものは誰でもそうなのだが――自分が力を用いる相手の人々に対して、自分を戦争状態におくことになる。この状態では、これまでの一切の紐帯は断ち切られ、その他の一切の権利は終息し、すべての人々が自衛の権利、侵略者に抵抗(resist)する権利をもつのである」(232頁)というのがあります。

ここでforceを単に「力」とするとわかりにくいです。「強制力」とし、軍事力の意も織り込んでよめばすっきりします。

また、最も有名な「抵抗権right of resist」(209頁)についてですが、
これまた動詞resistとopposeが混同して訳されています。
たとえばopposeが「反抗する」(205頁)とされていますが、
日本語の反抗には縦のベクトルが組み込まれています。
代案を出すとすれば、opposeを「反対する」、resistを「反抗する」に統一することになります。

以上、force/violence、resist/opposeについてこだわって紹介してみました。

最期に、明白な語訳を示しておきます。
229頁に「消極的抵抗」とありますが、これはpassive obedienceであり、「受動的な服従」です。だからこそ次の「静かな屈服」とつながるわけです。
このレビューは参考になりましたか?
8 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
古典の読み方 2012/1/14
形式:文庫
加藤節訳は、「2007年9月に岩波書店から・・・単行本として刊行されたジョン・ロック『統治二論』の文庫版である」。部分的な訳語の変更などは含まれている――プロパティの訳語を「固有権」と変更した点はかなり問題含みである――が、その点を別とすれば、単行本からの大きな変更は2010年8月15日の日付(これは間違いなく意図的だろう――いうまでもなく、8月15日は「終戦記念日」である)の「解説」が追加されている点にある。

加藤氏によれば、「ジョン・ロックの『統治二論』は、1690年に出版されて以来、時代と国境をこえて読み継がれてきた・・・第一級の古典」である。

「例えば、それは、ロックの祖国を始めとする多くの近代国家において、ほぼ例外なく、大学教育における政治学への基本的な入門書の一つと目されてきた。また、政治学を専攻する者にとって、それが、近代ヨーロッパにおける啓蒙主義やリベラリズム、あるいは、立憲主義やデモクラシーの観念を論じる際に何よりもまず引照基準とすべき正典としての位置を占めてきたことも疑いえない」

ガクシャはこれだから困る。

ロックの思想が現実世界に及ぼした巨大で多様な影響について語る前に、ガクモン上の影響を語り出す。しかも「正典」などという言葉を使って、自らがガクモン上の「司祭」(スコラ的解釈権威者)であることを見せつけようとする。

加藤氏は続ける。

「しかも、その影響力は、単なる学問や理論の領域にとどまるものではなかった」

ようやく重要なポイントに入った。

「『統治二論』、特にその後編は、アメリカ独立革命やフランス革命に政治的想像力の一つの重要な源泉を提供することによって、現実の歴史の動向にさえ実践的な影響を与えた作品であったからである。その余波が遠く日本国憲法にまで及んでいることは、あらためて述べるまでもない」。『統治二論』は「現実の政治史の上にも巨大な影響力をもった作品であった」

しかし、加藤氏が強調したいのは「現実の歴史の動向に」「さえ」「にも」(!?――順番があべこべだろう。ロックは思想家であり実践家でもあった。間違いなく言えることは、ロックは加藤氏のようなガクシャではなかった!)「影響を与えた」ということ、そのことではない。彼が強調するのは以下の点である。

「『統治二論』が秘める内容的な豊かさ」が「『統治二論』の解釈を無限に多様化させ、『統治二論』がそもそもどのような作品であったのかを曖昧にする結果を招いてきた」

ちょっと待ってくれよ。

偉大な思想というものは現実世界を変え、現実を形成・構成・構築し、現実世界の一部となるが、それは同時にさまざまな解釈や実践を生みだし、思想が現実の中で鍛えられ、時間の経過とともに変化・変容し、さまざまな「派生物」(人びとの態度・行動様式や制度・慣習等)をうみだし、「無限に多様化」するなかで現実世界とともに発展していくということにほかならない。思想の解釈は、この「無限に多様」な現実との関係において、その中でのみおこなわれうるものだ。

さて、この文庫版「解説」の副題は

「『統治二論』はどのように読まれるべきか」

となっている。結論から言えば、わたしは、訳者として加藤氏は「あまりに出過ぎたまねをしている」とおもう。読者は「古典」が「どのように読まれるべきか」を訳者にいちいち教えてもらう必要はない。これは大きなお世話――paternalistic(←Patriarcha)だろう。

さて、加藤氏はロックをいま、どのように読むべきだと言っているのか。「解説」によれば、

「こうした動向を前提とするとき、われわれは、『統治二論』という作品をどのように読むべきなのであろうか。それに対する最善の答えは、『統治二論』を、ロック自身がそれをそのように読んでほしいと願ったように読むことであろう。ロックの意志や意図を無視して、この作品を内在的に解読する方法はおそらくないからである」(597頁)

加藤氏のこの発言は、一般読者に対するあきらかな恫喝である。なぜなら、300年以上前の英国人「ロックの意志や意図」を史資料に即して解釈する「暇」があるのは、「ロックで飯を食っている専門家」だけだからである。

「古典」の読み方は読者に対して開かれている。

たしかに、著者「自身がそれをそのように読んで欲しいと願ったように」著者の「意志や意図」に即して読む、というのも一つの読み方ではある。しかし、それだけが「古典」の「内在的」な読み方ではない。このような「内在的な読み」は(知識)社会学的読みやイデオロギー論的な読みや精神分析学的な読みや解釈の「間テクスト性」やロラン・バルト(笑)をあらかじめ排除している。いや実は、加藤氏の方法は「内在的な読み」ですらないのかもしれない。加藤氏はC.B.マクファーソンの「ロックのプロパティ論=ブルジョア社会の正当化」という「内在的な読み」を一笑に付しているが、20世紀の80年代以降の「所有的個人主義」の広がりとともに、ロックがリバターリアニズムの正当化根拠として持ち出された点(ノージック、森村進)など、その後の歴史経過を考慮すれば、マクファーソンが鋭く見抜いたとおり、ロックの理論は少なくとも結果的には「ブルジョア的な所有権と階級支配の正当化理論であった」と言えるのではないか?

「思想はそれが人びとの心を掴むやいなや、物質的な力になる」

だからこの「物質的な力」にそくして、それとの関係で「思想を読む」ことがきわめて重要なのだ。

この観点がガクシャの加藤氏には、見事に欠落している。
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