『ラストエンペラー』が男の目から見た中国近代とその狭間に生きた人間の物語であるならば、『宗家の三姉妹』は女性の目で見た中国近代史とその狭間に生きた人間の物語、と呼ぶことができる。
公開当時、この作品を岩波ホールで観たが、結果として二度三度と観て、そしてDVDまで購入しているほど、奥行きの深い作品である。
物語に登場する“宗家の三姉妹”宋閭齢・宋慶齢・宋美齢は共に近代中国史に登場する名家の出自であることが一因となり、彼女たちは否応なく歴史の波に翻弄されるが、彼女達はそれぞれに自らの“意思”とそれを信じて荒波の中を生き抜いていく。その様子を目の当たりにしてただただ歴史の荒波が持つ壁の大きさとそれを越えようとする人間の生き様の素晴らしさを感じざるを得なかった。
ヨーロッパでは時間を掛けて熟成されたはずの“近代化のプロセス”が、政治文化の土壌も異なる東アジアに同じ基準でしかも時間を掛けずに持ち込まれた時、そこに生まれたのは所謂“革命”などという美名に覆い尽くされた結実だけではなかった。独立した国家でありながら他の国家は“援助”の名の下に彼らの祖国に対して自らの権益を拡張する行為を続け、中国が真の独立を勝ち取ったのは20世紀も半ばのことだった。
しかし、この作品を観ていて一つだけ世界中の女性(=政治的なステータスに裏打ちされた女性)が共通して抱いていた“理念”を見出すことができた。それは“愛する者”を何としてでも守り抜く、との難い決意だった(例えば『ミュージカル“マリー・アントワネット”』ではマリー・アントワネットが自らの命に替えてでも子供を守り抜こうとしていたことを一つのテーマとして浮き彫りにしている)。
何も歴史を築いてきたのは男(男は建前としての権力に従うことで時代と正対することを避けて荒波の間を巧みにすり抜けるが)だけではない。むしろそこには幾多の涙に裏打ちされた多くの女性の存在とその悲しみをも食糧として生き抜こうとする逞しい姿勢があってのことを決して忘れるべきではない。