「宇野千代 きもの手帖」のなかに、『お洒落は生きている証し』というのがある。
・・・お洒落は見てくれだけをよくすることから始まって、何か、これまでになかったものを考え出す、原動力になることがある、と思うのです。
・・・「お洒落をしよう」という意欲が、そのまま、生きているということの証拠だからです。
とファッションに無関心でいることを自慢するフェミな人々をばっさり斬ってしまいます。
宇野千代のデザインした着物の写真を見る。おはしょり無しのボディコンシャス、二寸にも満たない細帯。 それはディオール、カルダンの、あの時代ならではのぶっ飛んだ過去の遺物に感じられるかもしれない。
けれど「どうやったら着物をカッコよく着られるか」、いつだってそれが問題なのです。
江戸、明治、大正、昭和、平成・・・モノの無い時代でも、海外文化に取ってかわられようとする時代でも日本のお洒落心は途絶えることなく、着物文化はたくさんの人の手垢を付けられて変化してきたんやなぁ、とこの本を読んで感心してしまいました。
洋服ばっかりの戦後において、じゃあ着物も洋服感覚で、とデザインされたさまざまな宇野千代の着物たち。あの襦袢のように細かい柄の小紋や、無地感覚の洒落着、昼間に着られるようなデザイン浴衣など、今では安価な和装アイテムのメインストリームになっている。
いつの時代でも「女と着物は生きている」と思える一冊。