この本によると、そもそも日本で使われる学力という言葉は日本独特のもので、英語で同じニュアンスを指す単語を見出すのは難しいらしい。
なるほど、私たちは「学力」と聞くと、ペーパーテストや高校・大学入試のような点数化できるものを想像する。
だが、これほどまで日本人を悩ませ、一喜一憂させる学力という概念は、世界標準ではなかった。
世界では判断力や思考力といったものを含めて、もっと広い捉え方がされている。
「データや根拠にもとづかない主張はしない」
著者の持ち味は既成概念や学界の狭い枠にとらわれずに、物事の本来の状況を的確にわかりやすく捉えようとする視点であり、
また、自分の考えのよりどころを現場から得ようという、頭だけでなく足も使った研究姿勢。
だから書いている内容は理解しやすく、突飛さがない。
一般に「親が高学歴ならば子どもの学力は高い」「親の収入が多いほど子どもの学力は高い」というようなことをよく聞く。
確かに全体から見た傾向ではそれは正しいだろう。
しかし著者はフィールドワークの結果「親が学歴でも収入でも恵まれていない家庭が多い学校で、それらが恵まれた学校を上回る成績を出す学校」の存在を発見した。
教師が個人でなく集団で取り組み、そして家庭訪問などで学校外もフォローする…地道で単純で即効性があるわけじゃない。
だけど、学校が家庭が地域が同じ方向を向いて協働した結果、従来の説なんか蹴り飛ばすかのような痛快な結果につながった。
子どもの学力を上げようとするのなら、塾に通わせ、家庭教師をつけて…といったことをすればいいのは素人でもわかる。
それが経済的理由などで全員ができるとは限らないから問題なのであって、今の日本教育の危機には、そんな当たり前の処方箋は意味がない。
本当に現場の視点から出た、現場の状況に応じた柔軟な提案。それこそが私たちみんなの求めているものだし、実践できるもののはずだから。
ただし、志水氏も「これは特効薬やマジックじゃない」とは認めている。
例えば、力のある学校でも、落ちこぼれる子どもの層は確実に存在する。
「学力」を本当に広い世界標準の意味で捉えて教育を大きな視点で考えれば、選択肢が何百通りもあるテストを解くように正解が見えない。
だから政治家や評論家の口先だけの論調は虫酸が走るし、志水氏のような現場とつながった研究者を待望する。