以下は、感想になっています。読まれていない方はご注意ください。
主人公・加藤文太郎は、単独で登山を行う時は、登山前には体も荷物も万全を期して用意し、登山中も絶えず天候に気を配り、自然に逆らわず無理せず自分の限界を認め、休む時はしっかり食事をとって寝るなど、登山の成功のための徹底した自己管理を行い、成し遂げてきた。
しかし、生涯最後となってしまった登山では、宮村と、偶然出会った彼の仲間2人と共にパーティとして行動することになり、危険な冬山の自然以外にも、パーティのメンバーとの会話のやり取り、ペースなり体調なり常に気を使わねばならず、文太郎の的確な判断も他のメンバーにうまく伝わらず、結局は遭難してしまった。もし文太郎の意見が伝わっていれば・・。
ただ、この遭難によって、文太郎がたどりついた彼の本当の気持ちに、感動をおぼえてならない。
文太郎は花子と結婚し、愛する我が子・登志子を授かるなど、自分が父親として自分の家族を持った後は登山をしていなかった。しかし、彼の心の奥底には、「彼(加藤文太郎)はいまや山そのものの中に自分を再発見しようとしていたのである」という考えがあった。文太郎は、彼の家族との幸せな人生が彼を待っている、と思っていたようだが、実は、本当にそんな人生が待っているのかと自問自答していたのではないか?そこで、今後の人生についても、山に行けば何かわかるのではと、無意識で感じていたのではなかろうか?事実、これまで彼は山を登ることで気づいたことが、その後の彼の進む道となってきたから。
そこに、宮村が、冬の北鎌尾根に挑戦するので一緒に来てほしい、と加藤に話を持ってきた。加藤は、何度も断ろうとしていたが、心では山に行って自分を見つけたい気持ちがあるため、結局は行ってしまったのではないかと思う。
その結果は悲劇を生んだ。しかし、彼は最後に、「ゆっくり眠ることのできるわが家に帰ったのだ」と言った。彼は、冬の過酷な山中にて、まさに死を目前に、家があり家族があることの素晴らしさに気づいたのだ、と信じている。