作品のタイトル通りに「孤独」です。何もない自然の広がるところで、誰と語ることもなく散歩をして思いに浸る―それは物凄く寂しいことです。世界を捉えるうえで理性さえも放擲してしまう、それは解説の書簡の引用に見られます。「理性は私を殺す。私は健康であるためには、狂人であってもいい」本文の中には繰り返し同じ言葉が出てきますが「零の存在」という言葉が一番印象に残っています。ひとつの疎外感を表した象徴的な言葉のような気がしてなりません。自分をどの世界に溶け込まそうとするのでもなく、ただ自分の内面において、形而上の世界において、自分自身にだけ語られる言葉です。人間が学び、何かを知ろうとするのは、自分の根源的な問いに答えるための行いであると思います。他人に教えるためでもなく、自分自身を知るためです。
「僕はちがう、自分が学ぼうと思ったときは、それは自分自身を知るためだったからで、教えるためではないのである」(第三の散歩)
狭い「私」という一人称の世界で語られるとき、「独断である」「固定観念に毒されている」などの批判がありますが、その一方で人間が自己の中で内なる広大な精神に思いを馳せたとき、このように際限のない世界があるのだと反面気づかされます。内なる自然も、ひとつの外なる自然と同じです。それは各々の判断ですが、私は
「自分自身を忘れるときのみ、はじめてこころよく思いにふけり、思いに沈む」(第七の散歩)
という自己忘却するくらいの夢想に賭けてみたい気持ちになります。