小説の中でも、剣豪小説というのはいい加減で荒唐無稽なものである。何しろ、何百年前の剣豪がどんな性格をしていたのか、どのような人生を送ってきたのか、実際にどのように戦ったのか、ほとんど情報が無い。幕末でさえ危ういものがある。その剣豪を小説家が描くに当たっては、空白の部分を想像力で埋めるしかない。しかし、空白の部分があまりに多すぎる上に、元来、剣豪というのは小説家にとって、畑違いの存在である。結局、話は現実とはかけ離れた物になるが、読む方も小説家と条件は変わらないので、異議が唱えられることは無い。本作を執筆するに当たって、津本陽氏は佐川義幸という人物を何百年前の剣豪を描くのと同じように、荒唐無稽にいい加減に描くことも出来た。しかし、津本氏は佐川氏を中途半端に知り過ぎていたため、良心が許さず、それをしなかった。かといって、記録文学とするには決定的な情報が不足していた。そうした行き詰った状況の中で、佐川氏との約束を果たすために、津本氏が自ら知るところを有りのままに記したのが、本作である。その筆致は、客観的で、公平で、佐川氏の性格の毀誉褒貶もきちんと記してある。津本氏が記録文学の書き手としても、一流であることを本作は示している。