高橋睦郎の導きによって、「季語」の世界に、花と詩を求めて遊ぶ。それだけで、至福のひとときを読者は得ることになるだろう。
近代詩の中で、桜について歌った「最も端正な詩」として、著者は、三好達治の「甃のうへ」を選ぶ。
「あはれ花びら流れ をみなごに花びらながれ をみなごしめやかに語らひあゆみ うららかのあし音空にながれ おりふしに瞳をあげて・・・」
この一幅の絵のような文語自由詩には、先蹤があるという。室生犀星の「春の寺」である。
「うつくしきみ寺なり み寺にさくられうらんたれば うぐひすしたたり さくら樹にすずめら交り かんかんと鐘鳴りてすずろなり ・・・」
という詩である。著者によれば、達治と犀星との間には、資質の近さが感じられるという。
ところで、私は、桜と言えば、梶井基次郎の短編が忘れられない。これも著者は紹介している。
「桜の樹の下には、屍体が埋まってゐる! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにみごとに咲くなんて信じられないことことぢゃないか。・・・」
昭和2年3月、伊豆湯ヶ島で療養中の梶井を、萩原朔太郎や達治らが見舞いに訪ねている。梶井の桜は、樹齢15年ほどのソメイヨシノだったと伝えられているが、このとき、三人の間で、桜の花を眺めながら、桜談義が行われた可能性がある。
これは想像に過ぎないが、このとき三人三様の「桜」を歌うことが話合われたのではないだろうか。著者は、朔太郎の桜の作品も紹介しているが、私は、朔太郎の「桜」の詩は、別な作品も想定できるのではないかと考えている。
どこから読み出しても、この本は、「花と詩」の世界に、読者を誘ってくれるのだ。