執筆活動には、実のところ読み手のためにではなく、書き手のためにこそ行われるって側面がありますが・・・
そういう意味では、ハイデッガーの存在と時間はまさにそれに当てはまるでしょう。
本書を書きすすめる間に、ハイデッカー自身が書こうとしていたことを超越してしまい、根本的な書き直しの必要性から本人が途中で筆を置いてしまったたわけですから。
この「存在と時間」は、本来、その時点で役割を終えていたのかもしれません。
ただ、未完の状態で放棄され、世に出された「存在と時間」だからこそ、その解釈に大きな相違が生まれ、後世に多大な影響を及ぼしたのだと私は思います。
「存在と時間」を読み終えると、否応無しにハイデッカーが筆を置いて以降、彼の頭の中にあったであろう別の「存在と時間」の姿を追い求めてしまいますから。
それらを想起させるための存在・・・(未完の)「存在と時間」という感じがするのです。
事実、それ以後の多くの賢人が、このハイデッカーの偉大なる影を追って、各々に「存在と時間」の完成形(当時、ハイデッカーの頭の中にあったであろう内容。もしくは、それ以上の内容かもしれない。)をあれこれと想い描いてきたのではないでしょうか?
哲学書を案内図に例えるなら、「存在と時間」は案内図としてよりも、道標として存在してきたのかもしれません。
ともあれ、テキストの内容は元より、テキストの存在自体が影響力を及ぼしたという珍しい名著。
この本を片手に、人生を迷い歩きながら、自分なりの「存在と時間」を思い描いてみるのも一興ではないでしょうか?
初めて「存在と時間」を購入する方へ・・・
翻訳に関しては、原佑 渡辺二郎 両氏の名訳が知られていますが、本書の 細谷貞雄 氏の翻訳も優れています。
ただ、この著作が現代思想に多大な影響を及ぼしていることを踏まえると、本書の方が参考資料としての利便性は良いかもしれません。
(一概には言えませんが・・・)
加えて言えば、本書を購入された方も 原佑 渡辺二郎 翻訳版には一度目を通すことをお奨めします。
「なんだよ、結局両方とも買えってか?」っと思ったあなた・・・
まあ、これは1つの提案ですが・・・・
値段もこちらの方がお安いので、自宅用としてはこちらを。
原佑 渡辺二郎 翻訳版は近場の図書館を利用すると良ろしいかと。
できるなら 原佑 渡辺二郎 翻訳版も買ってほしいところではあるが・・・せめて、古本で。