『ドレミファ娘の血は騒ぐ』でデビューしてから今日まで、洞口依子という女優は驚くほど変わっていない。
もちろん演技のレベルなど違いはいくつもあるが、おびえているのか泣いているのか怒っているのか判然としないあの視線も、
不満げにとがらせたと思うと、人なつっこく笑うあの唇、そしてそうした特徴が放つ、今の自分、ここという場所に満足できないという、
大きな孤独感が渦を巻くメッセージは、みごとなまでに一貫している。
まるで洞口依子が洞口依子という怪物と格闘しているような、ある種の痛々しさや、その姿に垣間見せる表現者としての凄みも変わらない。
変わったのは、彼女が子宮癌というたいへんな病気に見舞われ、子宮と卵巣を全摘出するという重い経験をしたということ。
しかしこの『子宮会議』という本は、彼女の闘病と半生を綴った手記、という次元には収まらないものだ。
ここでも、洞口依子は洞口依子という怪物と格闘することをやめない。
これまでの自分を壊し、女優として、女性としてのイメージに揺さぶりをかけてでも、乗り越えようとしている。
この本の感動は、洞口依子というひとりの人間が、「ここではないどこか」ではなく、「いま」、「ここ」に、「私の」人生を取り戻した、
その獲得の重さから来るものだ。
ボロボロで、傷だらけで、不安を残したままだけど、終わりに近づくにつれて、風の通り道ができて、そこをいとしい人の手を握って歩いていく姿がしっかりと刻まれている。
その姿は力強く、そして本当にせつない。
だからこの本は、たとえばジョン・レノンに『ジョンの魂』というアルバムがあるように、洞口依子とっての『ヨリコの魂』だと思う。