「アレグリアとは仕事はできない」に続いて本書を読んだ。表題作の他「冷たい十字路」を含む。
表題作は、"人を呼べない"性格のヨシノが、同じ日に、予定していた友人の結婚式と突然の会社の部長の義母の葬儀に"呼ばれる"様を通して、冠婚葬祭と言った人生の節目に表出する人間模様を戯画的に描いたもの。ヨシノの思考・行動に頷ける箇所もあり(特にラストが良い)、面白く読めるのだが、作者の作風がパターン化しているのが気になる。控えめな若い女性の本音を語って、鬱憤を晴らすと言う点では見るべきものがあるのだが、逆に言うと、それだけの感がある。一作目は良いけど、二作目はね、と言う感じ。10年, 20年経っても同じ様なものを書くつもりなのだろうか ? また、「アレグリア」と同様、ヒロインはカタカナで表記されるのだが、本作では漢字で表記される登場人物も居る。私が見た所、「カタカナ=姓」、「ひらがな=名」なのだが、直感的にカタカナで表記される人物は「抽象度が高い=作者の描写対象」のように思われるが、区別が判然としない。「セガワ>さゆり」なのか ? 細かい点だが、私は50年以上生きているが、披露宴ではなく結婚式に友人として招かれた経験は無い(キリスト教式除く)。「葬>婚」は常識以前。告別式ではなく通夜に会社の人間が大挙して押し掛けると言う話も聞かない。「冷たい十字路」は地下鉄付近の交差点での朝の自転車事故を端緒に、通勤途上の女性会社員、小学校の女教師、パートの女性、女子小学生等の意識の流れを綴ったものだが、「アレグリア」中の「地下鉄の叙事詩」と大差ないモチーフ。しかも、個々の意識の世界がセコ過ぎる。
物語の構成力もあり、ユーモアの裏に人生を見据える厳しい目もあるのだから、もっと作風の違う作品を読んで見たいと思う。