姜尚中氏の文章を僕はある週刊誌で毎週読んでいるが、いつも少しも心動かされることがない。
いったいなぜか、僕はその理由が「自分語りの文学的表現」にあるのだと思っていた。
俗に言えば「自分のことばかりしゃべっている人」に対する嫌悪感である。
そうした思いを持ちながらもう一つの理由があることを本書を読んですっと理解した。
姜尚中氏は「在日」の犠牲者性を強調しすぎるのである。これは腑に落ちた。
姜氏は、誰に承認されたわけでもないのに70万人在日の代表の顔をして、
自分の体に一身にその悲劇性を背負った文章を書くのである。
自分語りのナルシストといっては言いすぎだろうか。
僕はそこに反感を感じたのである。
「僕たちはいつまで韓国や北朝鮮の人々に謝り続ければいいのか。もう在日の人々とは、謝り謝られる関係を続けるのは
止めたほうがいいのではないのか」
在日の人の思いを語ったすぐれた文章として、僕はつかこうへいさんの『娘に語る祖国』を
思い出す。本書でも姜尚中氏と、つかこうへいさんを比較する。つかさんは少なくとも「在日」を
売り物にはしなかったのである。
本書はタイトルや帯の惹句「正義の徒か偽善者か」といった文言の下品さが誤解を与えるが、
単なる姜尚中氏個人攻撃の本ではないのは他のレビューが言うとおりである。