フリードマンを始めとするアメリカのいわゆる市場原理主義者、規制緩和を柱とする構造改革のシナリオ作りに参画した中谷巌、竹中平蔵、島田晴雄などの諸氏を徹底的に断罪している。これほどの痛烈な批判は、宇沢弘文氏ほどの大学者でなければできぬことである。宇沢先生は、かつてシカゴ大学の教授を務められたのだが、先生の下で博士論文を書き上げた学生をMITに推薦したところ、「シカゴでPh.D.をとった学生は採用しないことにしている」とP.サミュエルソンから電話があったことなど、興味深いエピソードも披露されている。言うまでもなく、当時のシカゴ大学はフリードマン一派が拠点とする大学であった。現代の経済学者については、「ジョーゼフ・スティグリッツが、人間の知性と良心を象徴する経済学者である」と評価している。新自由主義とそれを育んだアメリカに対する過剰なまでの手厳しさには、釈然としない点もないではないが、市場原理主義に対する大学者の警鐘の書として一読に値する。ただ、「新しい経済学は可能か」という副題を設定しながら、対談相手が内橋克人氏のみであることが気になる(農学者の梶井功氏を加えた鼎談もあるが、これは「補論」である)。『規制緩和という悪夢』などの著作で知られる内橋氏との対談ならば、本書を紐解く前に結論が見えてしまう。宇沢先生とは理論的にも対極の立場にある経済学者との対談がもうひとつ追加されれば、さらに読み応えのある一冊になったのではないか。もっとも宇沢先生と対峙する勇気のある経済学者が得られればということになるが。