私は仏教徒ですが、今から30年以上前、心の糧を求めてさまよっていたころ、この本に出会い、どれほど勇気づけられたか計り知れません。以来、つねに私の座右の書です。
この本の「お返事集5」という章に「奇跡は信仰のほうびではありません」という言葉があります。まことにその通りと思います。ただし、この本のその章を読んでしっかり納得したうえで、つぎに「意向」という章を読み、そのあとで、冒頭に近い場所にある「ルルドの奇跡」という章を読んでみて下さい。
原爆被爆前からすでに白血病患者であり、早晩死ぬ運命にあった永井隆博士が、なぜ生き延び、6年の余命を授かったか、その使命は何だったかが素直にわかり、涙が出ます。
被爆後一か月あまり、すでに重体の病人であった永井博士のもとに、三キロ離れた村からただの腹痛を診てくれという往診の依頼が来ます。「私は往診したら死ぬかもしれないほどの重病だから行けません」と断わったのに、再度の使者が来ます。それならと重い腰を上げた永井博士は、こうなったら長崎医科大学の名誉にかけて、自分の言葉に嘘はないことを証明するために、往診に行ってそのあと死んでみせようと、自分の意地に命を賭けます。が、その道の途上、立ち寄った純心修道院の仮住まい小屋で、修道院長から声をかけられ、諭され、はっと気づきます。「すべての行為は愛の意向に基づいて表わされねばならない」と。「大学の名誉」とか「意地」に命を賭けることは、まちがっていたと。
その往診から帰った後、危篤状態に陥った永井隆のもとにもたらされたのが、本河内(聖母の騎士修道院)の、マキシミリアノ・コルベ神父によって開かれたルルドの泉の水でした。それによって、奇跡的に傷の回復を得た永井博士は、これをルルドの奇跡として、雑誌『聖母の騎士』の1946年12月号に寄稿しましたが、それを往診の話と結びつけて語ることは生前にはいっさいしませんでした。
没後に出版されたこの『如己堂随筆』でも、二つの話は遠く離れた二箇所に分けて書いてあり、しかも時間的に後の話のほうが前に書いてあるので、不注意な読者には見落とされてしまいますが、順序を入れ替えて再構成してみると、上に述べた一連の話になるのです。
多分、永井博士は、傷の癒しの奇跡を自分の信仰の手柄であるかのように描いては傲慢の罪を犯すことになると考え、慎重に配列を選び、生前に指示しておいたのでしょう。が、私は話を上のように再構成したうえで、敢えて言いたいと思います。「なるほど、この信仰にして、この奇跡あり」と。