「女学生」は、今では古風な印象さえうける言葉だ。そう、例え
るなら「女子大生」が蘭ちゃんなら、「女学生」は「先生♪」と呼ぶ
昌子ちゃんだ(たとえが古っ!)。しかし、本書を読めば、その印
象はガラッと変わるだろう。この本は、主に1899年の高等女学
校令制定から戦前の20〜30年にかけて生成されていった「女
学生」の数々の言説をひもとき、「女学生」とは何かという問い
とともに、女学生の周囲に形成された言説空間も描き出すこと
に成功している。
時代は明治から大正にかけての、日本国家が急速に近代化を
遂げていったまっただ中。その激流の中で生まれたのが、「女
学生」という存在だ。そんな彼女らはいわば当時、自国の「たし
なみ」の文化と、西洋から流入してくるモダンな文化をハイブリッ
ドに享受する、ハイブリッドな存在だったのだ。
当時の「大人」たちは、そんな彼女らが「文学少女」であろうが、
「不良女学生」になろうが、ミッションスクールに通おうと、どう振
る舞おうが「軽薄」だの「虚栄心」だのといい否定していた。そん
な外部からの彼女らに向けられた嘲笑や批判、蔑視の眼差しと
いうのには、良妻賢母に象徴される「お国」に貢献する女性像へ
なかなか収まらない彼女らへのいらだちであることはもちろんの
こと、変わりゆく日本を前にして彼ら自身が苛まれていた存在論
的な不安の裏返しであるということも、この著者は見逃さない。
女学生としての時代を、外部の喧騒から閉鎖された特異空間で
過ごした彼女たち。この本でもう一つ明かしているのは、彼女た
ちの「エス」と呼ばれる同性同士による強固な友愛関係だ。思う
にそれは当時、卒業後に「結婚」の他に対して選択肢の与えられ
なかった彼女らが、その後にもろにさらされてしまう社会の脇役
としての「現実」に耐え抜くために予め築いていた強力な靱帯だっ
たのだと夢想すると、彼女たちがいじらしくもあり健気にも思えて
くるのだ。