敬愛する渡辺京二氏のところに「女子大生が会いに行った」との題名に惹かれて本書を手に取った。津田塾大学の三砂ちづる先生(「オニババ化する女たち」の著者だそうだ)のゼミ生6名と卒業生3名(いずれも修士課程に進学)計9名が熊本に渡辺氏を訪ねた。氏の名著『逝きし世の面影』をみんなで読んだことがきっかけとのこと。
三砂先生率いるゼミ名は「多文化・国際協力コース 国際ウェルネスユニット」という。
ゼミ生が自分の卒論の要点を発表して渡辺氏と意見交換する、実に興味深い展開となった。学生は、自分の生い立ちまで語り、社会に対する抱負を述べることになる。
学生たちの話に釣られてか在野の著作家というだけで今まで余り知らなかった渡辺氏がご自身を語るのが面白かった。巻末には「無名に埋没せよ」との氏の自伝ともいえる纏め(?)がある。
それにしても、学生は何と聡明で心優しく、向上心に富んだ良家のお嬢さんたちなのであろうか? そして「国際協力や多文化共生それから社会福祉には寄与しなければならない」、「結婚しても職業をもたなければならない」との強迫観念をもっているかのようである。それでも「子育ては福祉の対象なのか?」と悩む。
『逝きし世の面影』は外国人の眼でみた江戸末期から明治初期の日本人の姿である。学生たちの話から推察すると、その後の日本の歴史(人々の在り様)に対する認識が欠落しているのが気になる。渡辺氏は戦前の学校制度やそれにともなう人々の生き方などを語る。明治から敗戦後も暫くはあった人々の生き方の在り様も、既に第2の『逝きし世の面影』になってしまったのだろうか? 平成生まれの彼女らには祖父母世代以上前のことになるのだから仕方がないか。
津田塾大学のHPで「多文化・国際協力コース」のカリキュラムを確認してみた。
フーコーやイリイチを教えるのも結構であるが、国際協力や多文化共生を実のあるものとするには、日本人としての伝統や健全な国家観を最低限、身に着けるのが先決なのではないか?これは大学教育だけの問題ではない。本書は、今、日本が抱える問題を提起している。多くの人に読んで欲しいと思い☆5の評価とした。