一方で、土俵への女子禁制を貫きながら、「クールビズ」などのカジュアルな服装の男性を土俵に上げた相撲協会を批判。その姿勢に対して一貫性の欠如を指摘している。外国人力士が活躍する角界に対し、日本人がどのように向き合っていくべきかを、原点に立ち戻って考えさせてくれる。併せて、グローバリゼーションや男女平等という尺度を、すべての事象に当てはめようとすることへの警鐘を鳴らす。
(日経ビジネス 2007/01/29 Copyright2001 日経BP企画..All rights reserved.)
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28 人中、22人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
知らないことを知るのは楽しいです,
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レビュー対象商品: 女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書) (新書)
週刊誌の連載で著者が楽しそうに東北大学の大学院で学んでいる様子を、いいものだなぁと読んではいましたが、その研究の中身は「土俵に女は上がれないことの学問的裏づけをする」 以外は知りませんでした。 本書はその修士論文の内容を平易に解説したものです。 読んで驚きました。 主義主張の本ではありません。 相撲の成り立ちと神とのかかわりを始めに解き明かします。 それから、大相撲成立後の相撲の元締めたちの「ビジネスセンス」が解き明かされます。 読んでいて、「相撲ってやるじゃん」と驚きました。 そこから、女性がなぜ関わってこれなかったのかに言及します。 伝統を愛しながら、男女の不平等を無視しないことはとても難しいことです。 著者は男のみで成り立ってきた相撲の世界を愛しています。 その上で女性が土俵に上れないのはおかしいと言う異議申し立てに反発します。 けれども、神事、伝統の一点張りで女性が土俵に上がれないとする相撲協会の反論にも納得しません。 どのように双方の距離は詰められるのか、わくわくしながら読みました。 最後に著者は着地点を見出すことが出来ました。 その提案は、相撲協会も検討するに値するのではないでしょうか? 組織に、組織外の熱心なファンが参加することっていいですよね。 相撲協会の未来に幸あれ。
20 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
男でも女でも、本場所の土俵には上がってみたいのでは。,
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レビュー対象商品: 女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書) (新書)
女性初の横綱審議委員である内館牧子氏が日経新聞の夕刊に連載されていた相撲に関する随筆は感心させられるものだった。特に「その通り」と膝を叩いたのはクールビズ姿での総理大臣杯授与を行った官房副長官と相撲協会批判であった。横綱審議委員という立場から協会寄りの発言をされるのかと思いきや、一刀両断のもとに両者を切り捨てた意見は見事であった。その氏の考えがまとまったものを読んでみたいと思っていたので、本書を見たときには迷わず手にした。クールビズも問題であったが、その前に物議を醸し出したのは女性の官房長官や大阪府知事が優勝力士の表彰式において土俵に上がる、上がらないということで揉めたことである。 ふと、そういえばと考えてみれば、何故、女性が土俵に上がってはいけないのか、その理由はまったくわからなかったし、知らなかった。世間一般でいえば、「女はご不浄もの」ということで片付けてこられたが、男から人が生まれたとは聞いたことも無く、ご不浄といわれる女から生まれた男もご不浄ものである。 さすれば、土俵に女が上がる、上がらないという問題の論点は別のところにあるのではと思い到る。 優勝力士に優勝杯、友好杯、自治体や企業からの賞品が延々と授与される様がテレビでも放映されるが、かつてパンアメリカン航空極東支配人は外人でありながら紋付き袴、ときには開催場所の方言で表彰状を読み上げて観客を沸かせたものだった。なごやかなものであり、稚気に富むものであった。 推論だが、女性が土俵に上がって優勝杯を渡したいというのはある意味、稚気ではないかと思える。男ですら、一度は本場所の土俵に立って、神妙な面持ちの力士と同等の目線からほんの少し優位に立って杯を授けたいと思う。男性優位社会において力量を発揮した女も男に勝ちたいとか、より優位に立ちたいというよりも本音は茶目っ気から「やってみたい」と思える。 内館氏は東北大学の大学院で相撲についての研究をされてきたが、その研究の成果の披露にも似た内容が出ている。女と土俵という話題性のある読み始めから徐々に徐々に読み応えのある内容にと変化しており、最終的には自身の考えを述べられているのは論文の結を読んでいるかの如きだったが、感情的にならず、差別と区別を解った上で協会への苦言を呈されたのは良かった。 確かに、表彰式は内館氏が言うところの土俵の結界を解いてから行うべきだろう。そうすれば、聖も俗も関係はなくなり、クールビズだろうが女性だろうが、問題を起こした人物だろうが関係なく土俵にあがることはできる。これは名案と思うが、果たして相撲協会はどう考えるだろうか。
21 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
結論だけ入れ替えて、だから女も土俵に乗ってよし、としたほうがしっくりくる,
By 古本 よみた屋 (東京都武蔵野市吉祥寺) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書) (新書)
著者の内館牧子は女性で横綱審議委員だが、大相撲の土俵に女は乗せない、とする相撲協会を擁護するためにこの本を書いた。相撲の発祥から、古代の「すまいの節会」、江戸時代の興行としての勧進相撲などを経て、現在の大相撲に至る歴史がまず描かれる。ふんどし姿で素手の格闘技として「すもう」は神話時代からあり、儀礼的な要素がはじめからあった。しかし、現在のいわゆる大相撲の直接の先祖は、江戸時代の勧進相撲で、興行(お金を取って見せる芸能)としての要素は当時からのもの。神社の境内を利用して催されたことなどから、次第に宗教的要素を帯びるようになる。国技となったのは、明治時代からである。国家神道と結びついた「国技」としての大相撲を、神話時代の「すまい」と結びつけて、あたかも古代から連綿と続く神聖な国技であるかのごとく、物語を作り上げたのは、相撲協会の卓抜な商業センスによるものであることが、論証される。 さらに、相撲の土俵が実は宗教的な「結界」であって、俵・土俵・房などによって多重に張り巡らされた結界の中で、神聖な宗教儀式として行われる相撲の一面が強調される。これは勧進相撲の時代から次第に発達してきた伝統的なものであるという。 また、勧進相撲の時代から、女性を相撲から遠ざけようという傾向があったことが、文献から示され、現在の大相撲が男性だけで執り行われることと関連付けられる。山岳宗教などの宗教的結界の一部は女性差別に基づくものであるが、一部は単に「修行を邪魔されないように」同性だけで集まるものだと述べられるが、相撲がどちらにあたるかははっきりしないl。 つぎに、大相撲の土俵が、場所ごとに作り直されることが明らかにされ、その破壊と再生は、機械を使わずに手作業で行い、神道儀式に似たものであることが報告される。(かつて、蔵前の国技館では、千秋楽が終わるとすぐに土俵を壊していたように思うのだが)。また、本場所前には地鎮祭に似た神迎えの儀式が土俵上で執り行われ、本場所終了後には神送りの儀式が行われる。この間の土俵は神が降りた神聖な場所である。 宗教儀礼はその核の部分を譲ってしまえば、無意味になる。何が核かはその当事者が決めるべきことで、周辺からとやかく言うことではない。当事者が変わりたいと思えば変わればいいし、変化を拒んで滅びるのも自由だ、ということが主張される。 最後に、もし相撲協会が宗教儀礼であることを主張したいなら、男性であっても正装または礼装の者以外は土俵に上げるべきではないこと、表彰式を神送りの後にすれば、女性でも土俵に上げってもかまわないのではないかと提案されておしまいである。 著者はこの見解を補強するために大学院に入って宗教学を学んだという。文献はよく調べられているが、著者の主張したいこと(土俵は結界、大相撲は宗教儀礼)を、証拠は裏切っているように思うがどうだろうか。ぼくには、結論だけ入れ替えて、だから女も土俵に乗ってよし、としたほうがしっくりくるように思えるのだが。 女性差別の根拠を「血盆経」などに求めているが、それは原因よりも結果。同質集団にとって異質な者はそれだけで穢れなのだ。家族で使う食器は他人に触らせたくない、というのと同じだ。女性にとっては男性が汚らわしいし、男性にとっては女性が汚らわしい。民族には異民族が穢れだ。 大相撲も、男同士でやっているので女が混じると喧嘩になるからやめてくれ、という、漁師が船に女を乗せないのと同じような理由だと思う。
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