本書はフェミニストの上野千鶴子が86年に出版した同名タイトルの
新装版(それにしても、本編ではない欄外にて目ざわりなほど存分
に発揮される著者の自己肯定感は、はたして彼女のベタか?それ
ともネタなのか?)。
「最小限の訂正を付け加える程度の変更にとどめて」いるとあり、ほ
とんどオリジナルらしいが、86年と言ったら評者がまだ一歳のころで
ある。フェミニズムというアクチュアルな問題と相対せざるを得ない領
域で、その年数はもはや死活問題の域ではないか?
実はそうではない。
著者も弁解するとおり「ホモセクシュアルを『差別』する」など、今では
当然セジウィックの「ホモソーシャル」という語を使えばよいところに、
そもそもその言葉がなかったというほどの年月の隔たりがあることは
確かだが、この本の根幹をなす「主婦論争を読む'T'U」の解説部分
は、今読んでも膝を打つ内容。錯綜する各論者たちの主張と立場を、
性役割分業の肯定/否定と、家庭の擁護/解体という四つのマトリ
クスで大胆に整理して見せた著者の知性が光っている。これを読む
と、上野もフェミニストも、「家族破壊者」なんかではないということが
わかる。
女性の就業についての箇所では、「仕事も家庭もさっそうとこなすわ
れらがスーパーウーマン」と、それに憧れるけれどそうなれない女性
の分断を論じられるが、こりゃまるっきり今の勝間和代と「カツマー」
のことではないか。つまり、「できる女」と「できない女」の断絶という
のは、古くて新しい問題だったわけ。
他にも吉本隆明の対幻想論を援用したセクシュアリティ論、産む性・
産まない性などは今にも連綿と続く問題だ。評者の印象では、大き
な物語としてのフェミニズムはだれもが共有できるものではなくなっ
たと思うが、局所的な「小さな物語」としては、未だ有効だと思う。
そのためにも、値段はちと張るが図書館などで借りてでも一読する
価値はある。