銀座の高級バーで雇われママとして働く圭子(高峰秀子)を中心に、華やかな水商売の裏側で蠢く人間・金関係の疎ましさと
、女身一つで生きる厳しさを描いた作品。特に捻った筋ではないが、秀逸な脚本による洒落た台詞回し、見事な舞台装置と
いったきめ細やかな演出に目・耳を奪われ、公開から半世紀過ぎた今観ても上質なドラマ映画だと感じた。
高級バーといったものからは縁遠い者でも、女達の品ある着物、男達のシックなスーツといったもので固められ選ばれし者
のみが許されたかの様な粋な夜の世界は憧れる。この作品は現在かつての隆盛は見られない高級バーの華やかな姿を堪
能させる。1960年という時代からモノクロで録られたが、逆に本作の世界はモノクロを通して観た方が映える気がする。
この作品では水商売で働く「ひとり女が生きるきびしさかなしさ(予告編より)」を描く。逞しいシングル・マザーが溢れる現在か
らすると随分時代錯誤なテーマに聞こえるが、誰かに頼りたいという恋しさはいつの時代も普遍の人情だと思う。
物語で圭子は想いを寄せる男に次々と裏切られるが、圭子の妹分として同じバーで働く純子(団令子)は圭子を慕いながらも
より夜の世界で逞しくドライに生きる術を身に付けており、二人の対比がなかなか面白い。
本作では可憐な装いの裏に纏った女の素の姿も赤裸々に見せる。バーのカウンターでうどんをずるずるすする女、猫なで声
で受話器を切った瞬間きゃっきゃ下品な笑いをあげる女、実際に水商売で働く方にはこんな程度ではリアルとは言えないだろ
うが、表と裏を巧みに使い分ける女性の本質がよく描かれた作品だと思う。
対する男達は客・マネージャー役として実に多彩な俳優陣が出演。外見は紳士を感じさせる二枚目男(若い頃の仲代達矢が
素敵)からスケベ心丸出しの爺まで様々だが、総じて男は何処か頼りなく狡い存在として描かれている。
作品をより素敵にしているのが黛敏郎制作の音楽だ。作品全般でなく、随所にピンポイントで挿入されたジャズを基調とする
小洒落た音楽がムードを盛り上げていく。特に冒頭クレジットの掴みは観る側を夜の物語へぐいっと引き込む。
「あたしは階段を上がる時が一番嫌だ」という作中で圭子が呟くナレーションの台詞。言わば朝勤務先へ向かう駅ホームの階
段を上がるサラリーマンと似たような気持ちなのだろうか。今観てもモダンな魅力を感じさせる一本、自分と同じ今の30代が観
たらどう感じるかちょっと気になる作品だ。