文学としての 『古事記』 、史料としての 『日本書紀』 の話にはじまり、慈円の 『愚管抄』 が 「漢文の翻訳体の創造」 であったという話あたりまでは、すこぶるおもしろく読めました。
しかし後半部、言文一致体をめぐる二葉亭四迷と田山花袋の話題になると、人によっては退屈と感じるかも知れません。
というのも、日本の近代文学史をあつかった評論には、中村光夫 『風俗小説論』 や、柄谷行人 『
日本近代文学の起源』 など優れた先人の仕事がすでにあるため、本書で扱われている内容は、それら二番煎じのように見えてしまうところがあるからです。
中村光夫 「風俗小説論」 では、自然主義から私小説にいたる日本文学の閉塞性が批判され、柄谷行人 「日本近代文学の起源」 では、日本の近代文学が無自覚に西欧的な観念に取り込まれていく過程が示されています。
一方、本書では二葉亭四迷と田山花袋をクローズアップしその作品を比較することで、わが国の近代文学の大きな分岐点が示されます。
1つは田山花袋から現代の私小説にいたる道筋、もう1つは二葉亭四迷が思い描き継承者が現れず、ついに立ち消えとなった小説の可能性です。
二葉亭と花袋両者のテキストを詳細に読み込む部分には、橋本治さん独特の視点も見られますが、その一方で、それら作品が書かれた明治文学の背景説明が乏しく、言文一致体誕生前後の状況を俯瞰できるような視界が得られない点には、少々息苦しさを感じました。
(二葉亭や花袋とおなじく重要な明治の作家、島崎藤村や国木田独歩、夏目漱石や森鴎外や幸田露伴などは、おそらく第二部で登場するのだろうと予想しています)
明治・大正期の文学を広く一望したい人には、中村光夫 『
日本の近代小説』 が参考になるでしょう。