「カトレアする?」っていうのが21世紀日本のギロッポンあたりの恋人たちのデートの際のあの隠喩になっている、というのは起こりえないことかもしれない。しかし19世紀末のおフランスでは有閑クラスの紳士淑女たちの間では、あり得ることだった。
ココットなイケている女性、オデット・ド・クレシーにぞっこんなスワンは毎月のお手当を当時の5,000フラン、今の日本円で、500万円払い続けてでもモノにしたかった。訳者の高遠氏は1フラン1000円で考えているが、岩波文庫で翻訳が先行している吉川氏は1フラン500円と想定している。いずれにしても、エライ高くつく女性だったんだなっていうのが正直な感想。いくら株の公認仲買人を父に持つ暇人とはいえ、こんなに稼いでたのかってこれまた呆れた感想。
そんなに金をつぎ込んでも、哀れスワン、オデットにフラれてしまうのかいな、嗚呼、悲しやと思いきや、「第三部 土地の名‐名」では、きっちり彼女と結婚し、ジルベルトなる可愛い女の子まで生まれている。そのジルベルトに恋い焦がれるのが「私」・・・・
新訳がこの高遠氏の方が先行したのに、吉川氏に追い越されてしまった。訳が遅れたのは、あの2011.3.11の地震のせいだったと本人が書いているが、読者としては、この二つの翻訳をどうしても比べてしまう。
オリジナルの文章のセンテンスが長いのをそのまま訳するのが吉川氏の特徴だが、この高遠訳では( )で括ったりして、できるだけ読みやすいように、かつ理解しやすいようにと工夫しているさまがうかがわれる。どちらがいいかなんて愚問。これは読者の好み次第と思う。
また「ココット」。高遠氏が「高級娼婦」と翻訳することにこだわる理由がきちんと書かれていることは興味深い。
さらに本書から登場した「場面索引」は明らかに吉川訳を意識してのことだろう。構成を若干替えてはいるが・・・・・。
(この古典新訳文庫のカントの「純粋理性批判」で行ったように、この場面索引部分をPDFで編集してほしいな。)